ゆうゆう自適。
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シェーネベルク(Schöneberg)の市庁舎には、同地区で暮らしていた有名人の住所が記録されたプレートがあるらしい。
ヨーンゾンもシェーネベルクの住民でした。昨年の夏に、アトリエまで行ったことがあります。(その前に、ハカセにアトリエに掲げてあるプレートの写真をもらったことがある)
住所リストの中にはヨーンゾンの名前もあると3月に聞いていたものの、時間がなくて確認することができなかった。やり残した「しゅくだい」です。そんなわけで今回、ハカセと一緒にシェーネベルクの市庁舎に行ってきました。
いつもはくまさん(=ベルリンのシンボル)の旗が立っている市庁舎ですが、本日の旗の色は7色。
どうやら、今日がChristophers Street Day(プライド・パレード)の日であるのと無関係ではないらしい。また、シェーネベルクは同性愛者が多く集まる地区とも言われている……らしい。ほかの市庁舎の旗も7色なのかしら。それとも、シェーネベルクだから?
内部は、ベルリンの赤の市庁舎とよく似た雰囲気。
シャルロッテンブルクの市庁舎も、味があってすてきだったな。こういうところで市民登録したかったー。(わたしが住んでいたヴィルマースドルフ地区の市庁舎はふつうの「お役所」的な建物だった……)
実際、ベルリンの住民であればどこの市庁舎で市民登録してもいいらしいのだけれど、どうなんだろう?次にベルリンで生活することがあったら、あえてすてきなところに行ってみたいな。……でも、それよりも手続きが迅速に終わることを願うか。
2階ではお遊戯の発表会(?)、3階ではコンサートの練習が行われていました。
市民に開かれた場であるのも親しみがあって、いい。
さて、お待ちかねの「著名人リスト」です。
名前と生年月日に加え、彼らがどこに住んでいたか、記念プレートの有無についての情報も。
肝心のヨーンゾンさんですが、
プレートが も ち さ ら れ て い た !!
なんとー!
は、8月に来た時点ではたしかにあったのに!この目で見たのに!
というか、誰が持っていったのー?なんで今になって……。
ヨーンゾンについての研究発表を行ったあとに、まさかのこの展開。
「プレート製作中」というコメントがあるところを見ると、ヨーンゾンの記念プレートは新たに製作されることはないのかしら。なんだかそれも淋しいね。
シェーネベルクから移動して、ミッテ地区へ。
Ritter Sportのカフェで、ほっと一息。
冬季はホットチョコレートを飲んだ。夏季にアイスはなかったりするのかな?
メニューには特に載っていなかったので、ハカセが質問。
なんと、別メニューにアイスチョコレートも存在していた。尋ねてみるものです。
具体的な名前は忘れてしまったけれど、わたしがオーダーしたのはホワイトチョコ&ヨーグルトアイスの組み合わせ。ハカセは……プラリネとチョコレート?なんだっけ?(うろおぼえ)
元気になったところで、ブランデンブルク門付近で行われているプライド・パレードのおまつりへ。
すごいひと!今やベルリンにさまざまな人々(セクシャル・マイノリティからストレートなひとまで)が集まっているのかー。どきどきだね!
6月17日通りをてけてけ歩いて、戻って。
普段はサムライっぽいハカセが、ちょっぴりノリノリで楽しそうだったのがおもしろかった。
夜9時を過ぎても、まだまだ明るいドイツ。
今回、ベルリンで過ごす最後の夜。
まつりのあとは、いつでもさみしい。
楽しかった分だけ、さみしい。
昨日友達に「バウハウスのアーカイヴに行きたい」というはなしをしたところ、急遽行くことになりました。
過去、バウハウス・アーカイヴで「待ち合わせ」をしたことがありますが、そのときは閉館まで30分弱しか時間がなかったので、泣く泣くあきらめたのでした。あれから半年、ようやくリベンジするときが!
写真撮影は禁止だったので、文章のみでお送りします。
割と小ぢんまりとした美術館で、40分あればゆったり見られるといった感じでした。
わたしの中でバウハウスといえば「グロピウスの学長室」と「マルセル・ブロイヤーの椅子」。グロピウスの学長室はデッサウで拝見し、今回はずらーっと(壁に)並んだブロイヤーの椅子を見ることができました!ちなみにブロイヤーの椅子はこんな感じ(写真:WIKIPEDIAより)。
ブロイヤーの椅子は本当に美しいし、座り心地もいい。
2008年時点では「復刻版」が販売されていたけれど、確か価格は20万。
……手が出ない……。
全体的には写真とスケッチが多いという印象。
カンディンスキーとか見られたらいいなあ……とは思っていたけれど、それはさすがに贅沢だったか。
バウハウスの模型を見て、「あ、ここ歩いた!」とはっきりわかるのがおもしろい。
もうちょっと見たかった!というのが本当のところですが、十分楽しめた。
美術館をあとにし、大学図書館へ行こうということでバスを探す。
100番か200番に乗ればまっすぐ行ける、はず、だったのだけれど……。
100番を待つこと20分、来ない。
その間、別のバス停に何度も止まる200番。
あきらめて200番のバス停に移動したところ、立て続けにくる100番。
そして200番を待つこと20分……。
渋滞していたんだろうけれど、これはいくらなんでもひどい!
待ち焦がれた200番は(当然)満員だったので、Potzdamer Platzで下車してSバーンに乗り替えました。100番も200番も観光ルートを通るため、観光客には大人気の路線。ただでさえ混みやすいのに、こうもダイヤが乱れると大変だ。
大学に用事があるという友達とは、図書館前でお別れ。
わたしは次の約束まで時間があったので、しばしお勉強。日本でやり残してきた仕事にせっせと目を通していたのでありました……とほほ。
ベルリンのお友達の近所を散策するツアーが開催され、急遽参加することに。
行き先は東ベルリンのTreptow。
昔、Sくんが「(東ベルリンに住んでいるから)西ベルリンは緊張する」と言っていたけれど、
西ベルリンに住んでいた身としては、東ベルリンのほうがなんとなく緊張する。る。慣れの問題で。
同じくツアーに参加する仲間に日時と場所を伝えたにもかかわらず、電車を乗り過ごし、引き返そうとして間違えた電車に乗りこんでしまい、15分ほど遅刻するという失態。あああ。
そんなばたばたを経て合流。
リーダー・はりさんのおすすめカリーヴルスト(なんだか由緒正しきカリーヴルスト屋さんだったらしい)を堪能してから出発!timmyちゃんも、独文の先輩も、先輩方のお友達も一緒。
Plänterwaldを散策。
シュプレー川のほとりをおさんぽ。
首都とは思えないこの静けさ。
ベルリンは緑が多いのがいいですね。
ロストックは川と海、ベルリンは緑……どちらもだいすき。
Eierhäuschen(たまごのおうち)。
かつてフォンターネが『シュテヒリーン』Stechlinの舞台のひとつとして取り上げた飲み屋さんだとか。奇遇にも、ほんの2日ほど前に仲間とこのEierhäuschenのはなしをしたばっかり!残念ながら今は廃墟と化していて、静かに朽ち果ててゆくだけ……どうにかならないのかなあ。やっぱり市の財政が苦しいのか。
同じく廃墟と化しているのが
かつてのテーマパーク、Spreepark。
その名残が随所随所に見てとれる。
森を抜けてしばらく歩くと、Treptower Park(トレプトウ公園)の入り口に。
ソ連の戦勝記念がどーん!
広い!とにかく広い!
そして公園のわきにはスターリンをたたえる記念碑がずらり。Oh!
子どもを胸に抱いた彫像。
足元には砕かれたハーケンクロイツ。
なるほど赤軍の栄誉をたたえる場所……。
今日も曇天で写真写りが残念なことになっている。とほほ。
胸像付近から見下ろした公園。
だだっ広い!
いやあすごい。うわさには聞いていたけれど、こんなにインパクトがあるなんて。
職場に向かうtimmyちゃんと別れ、Kreuzberg地区のカフェへ。
こちらで一服してから、はりさんとお友達ともお別れ。
残った数人でお昼を食べてから、自然に解散。
楽しい遠足でした。
なんて名前だったかな……。
純ココアおいしかった!
今日から「しゅっちょう!ドイツ」です。
2か月半ぶり。
早い段階で日程がわかっていたので、チケットは3月中(ドイツ滞在時)に確保していたのだった。
初のフィンエアー!ここ数年はスターアライアンスかスカイチームで飛んでいたので、成田空港第2を使うのはだいぶひさしぶり。第1のほうがいろいろとお店があったような気がするけれど、気のせいかもしれない。
フィンエアーはなかなかに快適でした。
席の広さ・間隔はほかの飛行機と大差ないのだろうけれど、すごく気持ちのよい旅でした。
(個人的には機内食と毛布の質がなかなかよかったように思える)
隣の席に座っていたおばあさんが、実は大学のOGさんだった。
娘さんも娘さんの配偶者もみんな研究者で、世界中を飛び回っているという。ひええ。
そのおばあさんは、ヘルシンキでとあるカンファレンスに参加した後、北欧・ロシアを回るのだとか……すごいなあ、こんなふうに年を重ねていきたいものです。
CAさんの着用していたムーミンエプロンが可愛すぎる。
フィンエアーオリジナルデザインのものはおみやげにほしい!
ヘルシンキのヴァンター空港も使いやすくてよかった。
フィンランドはユーロが使えるのがいいね!物価高くてびっくりしたけど。ムーミングッズとかマリメッコとかイッタラとか気になるけど、もう「自分へのご褒美」というレベル。
乗継まで時間があったので、パソコンを取り出してW-LAN接続。
ヴァンター空港は無料でネットに接続できるのもポイントが高い!
通りすがりのおじさんに、「どうやったらネットに接続できるの」と訊かれたので、たどたどしい英語でレクチャー。これからキャンベラに向かうというその方は、フランス語仕様のパソコンを使っていたものの、ard.deのサイトを閲覧していた。……実はドイツ語通じたのかしら。
ヘルシンキからベルリン・テーゲル空港へ向かうには、東ベルリンを通過する。
ざざっと並ぶプラッテンバウを見て「おお!」と思うと同時に、上空から見るベルリンの景色に感極まってしまった。
"Berlin ist ihre Stadt geworden"(ベルリンは彼女の街になった)というような文(正確にはちょっと違う)が『記念の日々』にはありますが、自分にとってもベルリンは「わたしの街」になったんだなあ、と思った瞬間。
テーゲル空港でハカセ(仮)と再会。
こうして、2か月半ぶりにベルリンに「帰って」きたのでありました。
さよならではなく、
またね、と。
行ってきます。
かれんだー
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りんく
かてごり
最新とらっくばっく
ぷろふぃーる
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。