ゆうゆう自適。
つらつら、まったり。つれづれ(不定期)雑記帳。海風薫るロストックから伯林、そして再び東京へ。再びドイツへ「帰る」日を夢見て、今日も今日とてしゅぎょう中。
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3日連続、めくれんぶるくの旅。
今日は「バルラハの街」(Barlachstadt)と呼ばれるGüstrow(ギュストロー)に行ってきました。
ギュストローまではSバーン一本で行けるので、家の最寄り駅から乗り換えなしで行ける。本数は少ないけれど、事前に時間を調べていけばとても便利。
ギュストローは、彫刻家・画家・小説家のエルンスト・バルラハが逝去するまでの28年の歳月を過ごした街。そしてウーヴェ・ヨーンゾンが子ども時代を過ごした街でもあります。
ヨーンゾンの作品はギュストローについて、そしてバルラハについて言及している個所が多いので、一度は絶対に行かなければと思っていました。そして、行くならばきちんと予習してから行かなければ、と。そう思っているうちに、こんなに後回しになってしまった。
そんなわけで、今回はバルラハとヨーンゾンの軌跡をたどる旅です。
今日は「バルラハの街」(Barlachstadt)と呼ばれるGüstrow(ギュストロー)に行ってきました。
ギュストローまではSバーン一本で行けるので、家の最寄り駅から乗り換えなしで行ける。本数は少ないけれど、事前に時間を調べていけばとても便利。
ギュストローは、彫刻家・画家・小説家のエルンスト・バルラハが逝去するまでの28年の歳月を過ごした街。そしてウーヴェ・ヨーンゾンが子ども時代を過ごした街でもあります。
ヨーンゾンの作品はギュストローについて、そしてバルラハについて言及している個所が多いので、一度は絶対に行かなければと思っていました。そして、行くならばきちんと予習してから行かなければ、と。そう思っているうちに、こんなに後回しになってしまった。
そんなわけで、今回はバルラハとヨーンゾンの軌跡をたどる旅です。
(2011/05/17追記)
駅を出てすぐに目に入った建物。
やたらと年季が入っているなあ、とながめていると、「Reichsbahnamt」の看板が目に飛び込んできた。Reichsbahnということは、これ、旧東ドイツ時代……いや、もしかしたら戦前の建物だよね?
なにかに使っているのかしら、と思いながら写真を撮っていると、地元のひとらしきおじいさんに声をかけられた。
「この建物は戦後からずっとこのままなんだよ。お金がないからね、ひどいことだ」
おじいさん曰く、ギュストローにはこのReichsbahnamtのように手を入れることなく、放置されている建物がいくつもあるのだとか。あれも、これも、とおじいさんの指差す方向に目を向けると、たしかにぼろぼろの建物が周辺にちらほらと。DDR時代のなごり、だろうか。
観光をはじめる前に、ちょこっと調査。
ヨーンゾンがお母さんと住んでいた家を見に行ってきました。
ギュストローは通りの名前が出ていないことが多く、たどりつくまでにすごく苦労した……。観光名所でもなんでもないので誰かに道を訊くわけにもいかず、ひたすら道路を渡ったり戻ったりの繰り返し。その上一度素通りした。
ほかの建物よりも外観がきれいだったので、「当時のまま」ではないかと。
でも、この辺を歩いていたんだ、と思うとなかなか感慨深い。
ギュストローにはこんなおうちもあります。
ここから、ヨーンゾンの通学ルート(推定)をたどって中心部に出ようと思います。
第1チェックポイント
エルンスト・バルラハ協会、ゲルトルーデンカペレ美術館
(Barlach Stiftung , Museum Gertrudenkapelle)
バルラハの作品は何箇所かに分かれて展示されているのですが、ここゲルトルーデンカペレは街の中心部にもっとも近く、アクセスがしやすい場所に位置している。
小さな教会を中心に、手入れの行きとどいている芝生がぐるっと広がっている。ちょっとしたお散歩によさそう。
やわらかい光が差し込むチャペル。
バルラハというと、人間の内面を表現し続けた芸術家というイメージがあって、怒りや悲しみや苦悩に満ちた作品が多いのかと思いきや、それだけではなかった。木像のまとう空気は、どれもやさしくてどこかかなしい。
シュトラールズントで(遠目に)見た「ピエタ」とここで再会。
今度は間近で見ることができた。感激。
ギュストロー散策は続く。
正面に見えるは、郵便局。
すぐ近くの路地の壁にも、「郵便局へ」って書いてある。きゅーと!
ヨーンゾンの母校、John-Brinckman-Gymnasium。
学校の前にヨーンゾンの胸像があるはずなのですが、どこを探しても見つからない。あれ?と思っていたら、
工事に際して、破損しないように木箱に納められていました。
そんなわけで、ご対面はできず。また来いってことですよね。ええ、また来ますとも。
ギュストローにはお城があります!シュヴェリーン城みたいに大きくはないけれど、すてきなお城です。こちらも中は博物館になっていて、中世から受け継がれてきたさまざまなコレクションから、現代アートの展示まで。残念ながら写真撮影禁止。
モダンなスプーンが飾ってあったので、「これはお城となにか関係があるんですか?」と訊いてみたところ、「現代アートの展示のための開かれた場ということで、お城と直接関係があるわけではない」とのこと。なるほど。
ゆっくりお城を見たあとに、本日のハイライト「ハイドベルク(Heidberg)散策」へ!
ハイドベルクというのは、ギュストローの地区のひとつ。
中心部から長い林道(バルラハの道)を抜けた先、インゼル湖(Inselsee)のほとりにバルラハ美術館とバルラハのアトリエがあります。
すぐ近くの路地の壁にも、「郵便局へ」って書いてある。きゅーと!
ヨーンゾンの母校、John-Brinckman-Gymnasium。
学校の前にヨーンゾンの胸像があるはずなのですが、どこを探しても見つからない。あれ?と思っていたら、
工事に際して、破損しないように木箱に納められていました。
そんなわけで、ご対面はできず。また来いってことですよね。ええ、また来ますとも。
ギュストローにはお城があります!シュヴェリーン城みたいに大きくはないけれど、すてきなお城です。こちらも中は博物館になっていて、中世から受け継がれてきたさまざまなコレクションから、現代アートの展示まで。残念ながら写真撮影禁止。
モダンなスプーンが飾ってあったので、「これはお城となにか関係があるんですか?」と訊いてみたところ、「現代アートの展示のための開かれた場ということで、お城と直接関係があるわけではない」とのこと。なるほど。
ゆっくりお城を見たあとに、本日のハイライト「ハイドベルク(Heidberg)散策」へ!
ハイドベルクというのは、ギュストローの地区のひとつ。
中心部から長い林道(バルラハの道)を抜けた先、インゼル湖(Inselsee)のほとりにバルラハ美術館とバルラハのアトリエがあります。
この林道がとにかく長くて、延々と果てないように思えて、本当に正しい道を歩いているのか不安になった。
行き交うのは自転車かボートばかりで、徒歩の人間はほぼ皆無!詳しい地図はないし(入り口だけ確認してあとは大雑把なマップを頼りにするしかなかった)、遠くにインゼル湖が見えるまでは生きた心地がしなかった。天気がよく、日も長かったのがとにかく幸いした。
ここハイドベルクは、『記念の日々』Jahrestageの主人公が「死ぬ直前に見たい」という場所。ヨーンゾン自身も、友人に「死ぬ前に一目ハイドベルクの風景が見たい」と言ったのだそうです。
わたしは、どうだろう。最後に見る風景としてハイドベルクを望むかどうかはわからないけれど、心に刻みたい情景であるのはたしかです。
バルラハ美術館に到着。
すてきな雰囲気の美術館です。
バルラハの彫刻勢ぞろい。
「バルラハと女性たち」という企画展示が併設されていました。
バルラハは絵も描いていたのね……。
となりにあるバルラハのアトリエ。
ゲルトルーデンカペレで見た木像と比べると、こちらは怒りや悲しみを表現したものが心持ち多かった気がする。有名な「再会」の銅像はこちらで見られます!
行き交うのは自転車かボートばかりで、徒歩の人間はほぼ皆無!詳しい地図はないし(入り口だけ確認してあとは大雑把なマップを頼りにするしかなかった)、遠くにインゼル湖が見えるまでは生きた心地がしなかった。天気がよく、日も長かったのがとにかく幸いした。
ここハイドベルクは、『記念の日々』Jahrestageの主人公が「死ぬ直前に見たい」という場所。ヨーンゾン自身も、友人に「死ぬ前に一目ハイドベルクの風景が見たい」と言ったのだそうです。
わたしは、どうだろう。最後に見る風景としてハイドベルクを望むかどうかはわからないけれど、心に刻みたい情景であるのはたしかです。
バルラハ美術館に到着。
すてきな雰囲気の美術館です。
バルラハの彫刻勢ぞろい。
「バルラハと女性たち」という企画展示が併設されていました。
バルラハは絵も描いていたのね……。
となりにあるバルラハのアトリエ。
ゲルトルーデンカペレで見た木像と比べると、こちらは怒りや悲しみを表現したものが心持ち多かった気がする。有名な「再会」の銅像はこちらで見られます!
もう一度ハイドベルクでインゼル湖を見渡してから、駅に向かって歩いた。
余計なことをすると道に迷いそうだったので、来た道をそのまま引き返した。
余計なことをすると道に迷いそうだったので、来た道をそのまま引き返した。
メクレンブルク湖水地方にあるギュストロー。
バルト海沿いとは違った魅力いっぱいの、すてきな街でした。
海と、緑と、青空と。
メクレンブルクの自然は、ほんとうにうつくしい。
ギュストローを起点とするハイキングコースもたくさん用意されているようなので、いつか挑戦してみたいところ。また、次の機会に!
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ドイツ生まれ、ドイツ育ちの「なんとなく日本人」。根っからのラインラントっこ。
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。