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ゆうゆう自適。

つらつら、まったり。つれづれ(不定期)雑記帳。海風薫るロストックから伯林、そして再び東京へ。再びドイツへ「帰る」日を夢見て、今日も今日とてしゅぎょう中。
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ヨーンゾン研究仲間と一緒に、ウーヴェ・ヨーンゾン賞の授賞式に行ってきました。

会場はNeubrandenburg(ノイブランデンブルク)。仲間の車に乗せてもらい、車中1時間半の旅。
学期中はなかなかお話できるきっかけがなかったので、今回は非常によい機会に。


今回のウーヴェ・ヨーンゾン賞の受賞者は、クリスタ・ヴォルフ。
最初にこの知らせを聞いたとき、ちょっとびっくりすると同時に、納得しました。

クリスタ・ヴォルフとウーヴェ・ヨーンゾンは、双方とも幼少期に故郷(ポーランド領)を失い、家族とともにメクレンブルクに移り住んだ。バックグラウンドはとても似ているけれど、作家として歩んだ道はまるで違う。片方は故郷を後にすることを決め、もう片方は故郷を去ることを拒んだ。ヴォルフの作品がドイツ全体で読めたのに対して、ヨーンゾンの作品は東ドイツで読むことはできなかった。

ヨーンゾンが『ヤーコプについての推測』(1959)、『第3のアヒム伝』(1961)を書けば、ヴォルフが『引き裂かれた空』(1963)、『クリスタ・Tについての追想』(1968)を書く。Jahrestage(1970, 1971, 1973, 1983)につづくのは、『幼年期の構図』(1976)。西と東で、それぞれ対になる話を書いている……という指摘は常々されていました。あまりに当然のこととして受け止められていたようで、比較研究が出たのは実は今年に入ってからです。

研究者の間では「あてにならない」ということで有名なヨーンゾンのバイオグラフィー(半分くらい著者の想像と思い込みで成り立っているというすごい伝記)によると、ヨーンゾンは

「クリスタ・ヴォルフがわたしの後を追って作品を発表しているんだ」

というようなことを言ったというアネクドートがあるとかないとか。
本全体の信憑性が薄いので、本当にそう発言したのかどうかは不明。

真偽のほどはわからないけれど、ヴォルフの日記やその他エッセイなどを通して、ふたりは微妙な間柄だったのかしら……とは、なんとなく思っていました。

「しかるべき時が来るまで、わたしはヨーンゾンについて一切語らない」

そう、ヴォルフは公言しています。

ドイツ統一20年目、故郷メクレンブルクの地で、このたびのウーヴェ・ヨーンゾン賞受賞。
ヴォルフがヨーンゾンについて語るときがやってきたのか、と、この日を心待ちにしていました。


賛辞を述べたのはクリストフ・ハイン。
めちゃくちゃ恰好よかった。すらっとしたロマンス・グレーのすてきなおじさま。
マフラーぐるぐる巻いても「中尾彬風」にはならないんだね。(ファンの方ごめんなさい)

声も、賛辞も、いい。
ハインまた読みたくなった。


そして、

「受賞のことば」。
語られたのは、故人・ヨーンゾンとの出会いと思い出。

それは、はじめて語られる逸話。

ヴォルフでドイツ文学に本格的に足を踏み入れて、
ヨーンゾンにたどり着いて、
今、ここ、メクレンブルクにやってきた。

自分がこれまで積み重ねてきたものが、すっとつながった、そんな気がした。

ヨーンゾンにとっては、「遥かなる故郷」だったメクレンブルク。
そこで、今日、ヴォルフとヨーンゾンが再び出会った。


受賞の言葉、文章化されないかなあ。
読み返したい、読み返したい。

「この日の午後にウーヴェとわたしがなにを話したのかは、あえて語りません」

そう、ヴォルフは言った。

その日の午後に、ふたりが最後に会った日に、なにが語られたのか。
作品研究とは直接関係ないけれど、とても、とても気になるのです。


授賞式の後は、ビュッフェ形式のディナー(!)。
たまたまヨーンゾン協会の計らいでくっついてくることができたけれど、この授賞式はもしや招待制なのだろうか……。
ベルリンでお会いした古本屋のおじさんに声をかけられてびっくりした。(一瞬誰だかわからなかったわたしサイテー)世の中狭いなあ。引っ越しをしたら遊びに行こう。

深夜までラウンジでたるたる仲間と談笑して、12時過ぎに出発。1時半に到着。
助手席に座っていたので、どんなに眠くても寝られない……


そしてノイブランデンブルクは観光できなかったので、ここはベルリンに移ってからまた行きたい!
古い建物とか、外壁とか、なかなかすてきだったなあ。



待ち合わせ場所は研究室。
トラムに乗って10分ちょっとでつく距離。

余裕を持って出かけたつもりだったけれど、

なぜか線路の上でデモが行われていた。ええーっ!
そういうことは事前に言ってよ!


うっかりトラムに乗ってしまい、10分以上遅延。ダッシュで研究室まで走って事なきを得ました……あー、緊急時の連絡先持っていなかったら焦った!


メクレンブルク・フォアポンメルン州での庇護権を要求するデモだったんだけれど、こういうのは告知してくれないと困る!

と、ぷりぷりしてから気がついたんだけど、

警察の車が出ていたな。ということは、

トラムが走るルートをきちんと把握せず、
なおかつ告知もしなかった警察が悪いってことだよね。うっわサイアク!

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ドイツ生まれ、ドイツ育ちの「なんとなく日本人」。根っからのラインラントっこ。

日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。

深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。

2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。

ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。


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