ゆうゆう自適。
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The ICE 2011・名古屋公演に行ってきました!
はじめてのアイスショーです。
当初は特に行く予定もなかったのですが、気がつけばノリと勢いだけで参戦決定。with 妹。
8時に東京を出て、ショー会場の15時半ころまで名古屋市内を観光することに。
名古屋は2年くらい前に学会で来たことがあるけれど、あのときは名古屋城(外観のみ)と名古屋港に行ったんだった。
アイスショーの会場は愛・地球博記念公園(モリコロパーク)とちょっと離れているので、あまり欲張るわけにもいかない。そんなわけで、熱田神宮を訪れてから栄~久屋大通あたりをぶらぶらすることに。
熱田神宮で今年はじめてのおみくじを引いた。
結んできて手元にないので、細かい内容は覚えていないけれど、「かなえたい願望があるなら気を抜くな」という旨のことが書いてあったと思う。(ああ気を抜いてはいかん!と肝に銘じたことだけは覚えている)
一応今年の「初詣」になるのだけれど、最初の祈願をするのは谷保天満宮と決めているので、今回は心を無にして「参詣」のみ。あ、でも、「目の神さま」にはちょっとだけお願いしてしまった。
栄に戻り、栄~久屋大通をうろうろしながら「お昼ごはん問題」が発生。
朝、名古屋駅でもらったマップに載っているお店情報をチェックして、栄近辺のビルに入っている定食屋さんに行くことに。味噌カツを食べました。おいしかった!
その後、リニモに乗って愛・地球博公園へ。
モリコロパークの前ではすでに入場待ちの列ができていて、すぐには入れそうになかったので、屋台でかき氷を買って一息。かき氷を食べるのもしばらくぶりだなあ。
しばらくしてから入場。
ぎりぎりにチケットを入手したのである程度は予想していたけれど、席は最後列・端っこ。
ただモリコロパークは比較的小ぢんまりとした会場だったため、一番後ろでもリンク全体がよく見える。伯母さんに借りたオペラグラスを使えば、パフォーマーの表情も見える!
さて肝心のショーですが、
夢のような時間でした……。
キャストが、とにかく豪華!
現役時代から好きだったジェフリー・バトル、大会でおなじみのジョアニー・ロシェット、フローラン・アモディオ……テレビで見るのと迫力がまったく違う!
アダム・リッポンのスケーティングに、羽生くんが披露した今期の新プログラム(ロミオとジュリエット)に、鳥肌が立つほど魅せられる。長洲未来ちゃん、アリッサ・シズニー、無良くんに村上佳菜子ちゃん。浅田舞ちゃん。そして真央ちゃんも小塚くんも、なめらかでうつくしい滑りを見せてくれました。ああ、思い切って名古屋に来てよかった……。
大きな大会がない限りなかなかテレビでは見られないペアやアイスダンスも、シングルとは違った魅力があるのだと改めて思い知る。楽しい!本当に楽しい!
今シーズンのグランプリシリーズが今から楽しみ!
フィギュア・スケート選手の皆さま、素晴らしいショーを本当にありがとう。
今年のNHK杯にも参戦するか!と思ったものの、今年の開催地は札幌。
はい、ムリー。残念ですが家でおとなしくテレビ観戦します。
ショー終了後、そのまま帰路に着く。
夜ごはんは駅弁!名古屋コーチン。観光というよりは、「食の名古屋」でしたとさ。
ひと月前から楽しみにしていた「Einfach kompliziert」(単純に難解、でいいのかしら)!
ベルンハルトお気に入りの役者・Gerd Voss主演、ベルンハルトと親交のあったBEの総監督Claus Peymann演出の本作はものすごく人気で、ネットの前売りが瞬く間に完売。当日券を(ウェイテイングリストに名前を載せた上で)獲得するしかないということで、早めに行って並んだ。
「Einfach kompliziert」のセットは「粗末な部屋」とシンプルでありながら、冒頭にある説明(窓やドアの配置など)に忠実に再現されていて、びっくりした。こういうことって滅多にないけれど、イメージ通りの舞台が用意してあった。
あらすじも非常にシンプル。
とある粗末なアパートに引きこもった老俳優が、狂気と叡智の間を行き来する。
人とのかかわりを経った彼が唯一心を許すのは、毎週火曜と金曜に牛乳を持ってくる少女・カタリーナのみ……。
かつて、シェイクスピアの「リチャードIII世」を演じた老俳優は、造りものの王冠を被る。
栄光を極め、のちに高みから転落するイングランド王リチャードIII世の象徴。
ひとを嫌いながらも、幼い少女の来訪を心待ちにする孤独な老人。
屈折したユーモアと、深い孤独。
短い劇だけれど、ベルンハルト流のエッセンスが凝縮されている。
Gerd Voss氏の演技は圧巻。
以前、静岡で観た「エリザベスII世」もすごかったけれど、「Einfach kompliziert」のほうがより気迫を感じられた。席が近かったからかもしれない。(学割でキャンセル待ちをすると、優先的にいい席が回ってくる)
いやあ素晴らしかった。
すごく楽しめたのだけれど、唯一わからなかったのは「笑いどころ」。
「イマヌエル・カント」に続いて2回目のベルンハルト作品だけれど、未だにドイツ人が笑うポイントを押さえられずにいる。
たとえば、
「わしはリチャードIII世をデュースブルクとボーフムで演じたんだよ」
という台詞で大爆笑。NRW州出身のものとしては「おお地元」と反応してしまうけれど、会場を包んでいる笑いはその類のものではない。
かもさん曰く、「ベルリンという場所だからこそ成立しえた笑いでは」とのこと。もしかしてそうかなあ……と思いはしたけれど、やはりそうなのかしら。ウィーンの観客は、この個所にどう反応するのだろう。上演する場所によって、「笑いのポイント」が変わってくるような気がする。
「笑いの文化」?
全テクスト掲載のパンフレット(もはやカタログ級の厚さ!)も購入したので、しっかり読んで、もうちょっと考えて、専門家に訊いてみるとしましょうか。
アフタートークショーでGerd Voss氏とClaus Peymann氏が舞台裏の秘話を紹介。これもまた興味深い話だったんだけれど(どの点において、とは言わなかったけれど、やはりウィーンとベルリンでは笑いどころも含めて観客の反応が違うらしい)、夜も更けてきたので早めに退出。
いい夜でした。
ベルリーナ・アンサンブル(BE)でマックス・フリッシュの「アンドラ」を観てきた。
「アンドラ」は10年以上前に国語の授業で読んだけれど、当時の先生が好きになれなかった上にテクストを生理的に受けつけることができず、「トラウマの一冊」と化していた。フリッシュの作品自体に苦手意識を持つようになってしまって、『ホモ・ファーバー』『モントーク』を手に取ったのだってここ1、2年のはなし。
たまたまBEの上演プランに「アンドラ」の名前を発見し、いい機会だから観に行ってみるか……と軽い気持ちで観劇することに。
小国家、アンドラ。
青年アンドリは、ユダヤ人という理由で市民から差別を受けていた。
しかしアンドリはユダヤ人ではなく、アンドラ人の父と「黒き民の国」と呼ばれる隣国の女性との間にできた子だった。「黒い民」との関係が露見することを恐れた父は、アンドリを「瀕死のところを救ったユダヤ人」と称し、養子として引き取ることで世間を欺いていたのである。その事実を知らず、アンドリは「養父」の娘・バーブリーンと恋におちる。
ユダヤ人ではないのに、「だからユダヤ人は……」と差別を受けるアンドリ。
色欲、金銭欲、名誉欲。欲にとらわれたアンドラ人は、己のうちにある欲望から目をそむけ、アンドリを誹謗中傷する。
皆となにひとつ変わらないのに「おまえは違う」と異端の烙印を押され、バーブリーンとの結婚も父に反対されたアンドリは、ついに「ユダヤ人」としてのアイデンティティを受け入れるに至る。
隣国からやってきた実母は、アンドラ人に石を投げられ、殺されてしまう。
そして彼らは言う。「アンドリが石を投げるのを見た」と。
「ユダヤ人だから」ですべて片づけられてしまう現実に絶望したアンドリは、「黒き民」が進軍し、ユダヤ人の公開処刑を求めてきた際にも、抵抗ひとつしなかった。
父は首をつり、バーブリーンは正気を失う。
残されたアンドラの民は、口々に「自分は悪くなかった」と言い逃れをするのだった。
クラウス・パイマンの演出は非常にわかりやすかった。
ある種のかたよりはあるかもしれない、と思いながらも、圧倒されました。
「ひとと違う」ことに恐れ、
「皆と同じでありたい」がためにうそをつき、
そのうそが悲劇を呼ぶ。
偶像を造り上げることなかれ。
そう、フリッシュは言った。
アンドラ人は皆、アンドリをアンドリではなく、「ユダヤ人」としてしか認識せず、その上で勝手に「ユダヤ人」の像を造り上げていた。
「アンドラ」って、こんなに考えさせられる戯曲だったのか。
10年以上経って、再発見したような気分です。
俳優陣の演技が素晴らしかった。
明朗快活なアンドリの人格が、徐々に陰りを帯びていく過程に引き込まれる。
アンドラ人がそろいもそろって「いやなやつ」ばかりなのがまたすごい。
これもひとつの「偶像」なのだろうか……。
ようやく、「フリッシュ苦手意識」を払拭できたような気がする。
「アンドラ」を100%理解したとは到底いえないけれど、まず一歩。
ひさしぶりにベルリーナ・アンサンブルに行ってきました。
本日の演目はトーマス・ベルンハルト作の「イマヌエル・カント」。
「カントはケーニヒスベルクを出たことがない」はうそだった――
時は20世紀。哲学者イマヌエル・カントは、妻と弟、そしてペットのオウム・フリードリヒを伴って、海上のひととなっていた。
目的地はアメリカ、ニューヨーク。このたびカントは、コロンビア大学から名誉博士号を与えられることになったのである。
アメリカには最高の医師がいる。
コロンビア大学には、最高の眼科医がいる。
緑内障を患っているカントは、ケーニヒスベルクを旅立った。
アメリカに理性を広めるのと引き換えに、
視力を取り戻すために。
Wo Kant ist
ist Königsberg
Königsberg ist
wo Kant ist
カントがいるところに
ケーニヒスベルクあり
ケーニヒスベルクは
カントのいるところにあり
戯曲がまるごとベルンハルト。
舞台がオーストリア出ない分だけやや大人しめだけれど、相変わらず挑発的な内容です。
この20世紀の哲学者イマヌエル・カントがものすごく威圧的な人物で、弟エルンスト・ルートヴィヒを召使いのようにこき使っている。
船に乗り合わせているのは、とある大富豪の婦人。タイタニック号に乗っていた伯母の遺品(金銀財宝)を取り戻すために、タイタニック号引き上げに情熱をかけている。有名人が大好きで、くるくるとうわべだけの会話を繰り返す。そんな彼女を、カントは
Millionärrin
と呼ぶ。
Millionärin(大富豪)とMillio-Närrin(大ばかもの)をかけている。
……最初にテクストを読んだときは「誤植?」と思ったけれど、最低2回はこの表記で登場しているので、誤植ではない。
カントの威圧的な振る舞いを全員が流す、という運びなのですが、この作品のオチは「ラスト、ニューヨークでカントを待ちかまえているのはコロンビア大学のスタッフではなく、精神科医」であること。
周囲から注目されているようでいて、実際には誰よりも孤独であったベルンハルトの20世紀イマヌエル・カント。ベルンハルトのテクストは(といっても戯曲をいくつか、短編をいくつかしか読んだことがないけれど)とても挑発的なようでいて、人間の描写がとて緻密だなあと思うのです。あとすごく読みやすい。テンポがいい。執拗なまでの繰り返しが徐々にくせになってくる。
さて、肝心のベルリーナ・アンサンブルの演出ですが、結構テクストが削られていて、だいぶ小ざっぱりとした感じになったなあ……という印象。上演時間の都合もあるんだとは思うけれど、ミソジニー的発言や特定の国を蔑視する発言が重点的にカットされているのを見ると、ポリティカル・コレクトネスが発動したのではないかという気さえしてくる。
どういう判断なのかわからないけれど、
Ich vertrage keinen Kümmel
in der Kümmelsuppe
とか、いかにもベルンハルト!という感じの偏屈なセリフもことごとく消えているのが残念。
「キャラウェイ・スープに入っているキャラウェイがダメなんだ」、これはぜひ聞きたかった。たとえるならば「味噌入り味噌汁はからだが受けつけない」と言っているようなものです。秀逸。
全体的には、「喜劇」としてきれいにまとまっていたと思う。
つまり、ベルンハルトの作品としてはやや控えめなトーン。
これは観客を配慮してのことなのか……。
プレイテキストを読んでいなかった友達も「話はよくわかった」と言っていたので、とてもわかりやすい仕上がりになっているのはたしか。
比べたってどうしようもないけれど、最初にこの作品を演出したクラウス・パイマン(ベルンハルトの作品をいくつも手がけた演出家で、現在はベルリーナ・アンサンブルの総監督を務めている)のバージョンを観てみたいなあ。
クラウス・パイマンといえば、もうすぐベルンハルトの作品Einfach kompliziert『単純に難解』が上演されるらしい。かの『英雄広場』を演出したパイマン……せっかくだから、観たい!
うちからもっとも近い劇場なのだけれど、行くのは今日がはじめてだったりする。演目はソフォクレスの「アンティゴネー」。
当初は、チケットが完売してしまったオペラ「椿姫」の代わりに……と、割と軽い気持ちで行くことに決めた「アンティゴネー」。開始10分で、「ナメてかかってごめんなさい」と心から反省した。すごく面白かった!
「人間関係のありかたについて」考えるワークショップ(のようなもの?)で、「オイディプス王」、ひいては「アンティゴネー」が題材として取り上げられることに。司会者1名、参加者5名、全員男性。ロール・プレイでギリシア悲劇を紐解いていきます。
父を殺し、母と結婚したオイディプスは、故郷テーバイを去る間際に自分のふたりの息子、エテオクレースとポリュナイケスに呪いをかけた。彼らは一年おきに交代で国を治めることになっていたのだが、一年後、エテオクレースが交代を拒んだため、ポリュナイケスは王位を奪還すべくテーバイに攻め込む決意をする。
兄弟は相打ちで戦死し、叔父にあたるクレオンが王位を引き継いだ。
クレオンは反逆者であるポリュナイケスの埋葬を禁じるが、ふたりの妹・アンティゴネーは禁を破り、クレオンと対立する……。
司会者と、参加者のうち3名はコロス(合唱)役も担っているのですが、それがまさかの「ロックバンド形式」!ヘルダーリン訳のコロスを、激しいビートに乗せて歌う。すごい。
ロール・プレイからはじまっているので、メインの俳優さんふたりの役柄が相互に入れ替わったり、違う役を与えられたりする。アンティゴネー/クレオンでさえ、入れ替わる。キャストがオール男性なのも、このロール・プレイの特色を全面に出すためでしょうか。
現代的な味つけのされた「アンティゴネー」、とても刺激的でした。
うーん、中学のときに読んだときはそれほど心動かされなかったけれど、こうやって改めて観ると興味深いなあ、「アンティゴネー」。
以前「アンティゴネー論」で泣かされた経験から、ヘルダリーン訳は相当難解なんだろうなと身構えていましたが、思ったよりもわかりやすかった。(あらすじ/テクストを知っているからかもしれないけれど)
はじめてのシャウビューネ、一回きりで終わらせるのはもったいない。
「ベルリン・アレクサンダー広場」は2月3月は上演されない模様。残念。
来月の「ペンテジレーア」が気になるけれど、クライスト原作なのになぜかテクストがフランス語。……あ、フランスから劇団がゲストでやってくるのかしら。
かれんだー
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りんく
かてごり
最新とらっくばっく
ぷろふぃーる
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。