ゆうゆう自適。
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お友達に長らく借りっぱなしの(本当に申し訳ない)、江國香織『こうばしい日々』を読む。
物心ついたころからアメリカで生活している男の子・ダイの物語。
国籍はアメリカ、家でも外でも使用する言語は親の意向で英語のみ(日本語は話せない)。父に「アメリカ人として生きるんだ」と言われ、本人もアメリカ人としてのアイデンティティを持っている。そして、「日本人」と言われることを嫌う。
……思いっきり自分の真逆を行く主人公だな、というのが第一印象。
でも同時に、「紙一重」なのかもしれない、とも思った。
もし自分が二重国籍であったなら。
家で、妹とドイツ語で会話していたなら。
「ドイツこそが自分の母国なんだ」と感じられたなら。
「わたしは(日本人ではなく)ドイツ人なんだ」と思えていたかもしれない。
両親の配慮(?)のおかげで、日本との(主に精神的な)つながりを保つことはできたけれど、その一方で「はざま」に位置する人間になったことは否めない。日本、ドイツ、その間の立ち位置。
同じ境遇で育った幼なじみのほとんどが、日本かドイツ、どちらかひとつを拠点に選び取った。
わたしは、まだ決められずにいる。日本人にも、ドイツ人にもなれない。
それでもいいやと、思う。
ダイのお姉ちゃんは高校を卒業するまでは家族と離れて日本で過ごし、大学からアメリカで暮らすことになった。
「アメリカかぶれ」な母親に対して不満を募らせ、アメリカ人の恋人(!)の悪口を重ね、「日本のほうがうつくしい」とこぼしても、彼女は日本に帰らない。
姉弟の、日本とアメリカ、ふたつの「故郷」に対する異なった認識。
ここにはあまり深く介入することなくさらりと物語が終わってしまい、ちょっと物足りない。
『カッサンドラ』、またもや再読中。
ヴォルフについて、その作品について、くどくど試行錯誤しているけれど、最後はここに戻ってくるんだなあ、と思う。
互いの名前を呼ぶほかに言葉はなく、
これ以上に美しい愛の詩(うた)を、わたしはこれまで聴いたことがなかった。
アイネイアス、カッサンドラ。カッサンドラ、アイネイアス。
新月。静かに、互いの頬に手を添えるふたり。
ドイツ語がものすごく綺麗で(日本語で再現できない!!)、一番印象に残っている場面です。恋愛ものじゃないからこそ、このシーンが際立つのかなあ……。
こんな情景に憧れる
クリスタ・ヴォルフ『メデイア』に関する著者の日記、論文、対談を読む。
『チェルノブイリ原発事故』『ある夏の日の出来事』以降、「読むこと」へのモチベーションがとことん下がっていたけれど、ここでようやく復帰。
よかった。
やっと、また、おもしろいと思えた。
おもしろい、と思うだけじゃ、だめなんだけど。
とりあえずは一歩。
クリスタ・ヴォルフ著(1989)。邦題『夏の日の出来事』。
メクレンブルクの片田舎に越してきた家族と、その村の住人(隣人や友人たち)がともに過ごした夏を描いた作品。
先に読んだ『Störfall. Nachrichten eines Tages.』にも結構な時間を費やしたけれど、この『Sommerstück』を読むのはそれ以上に時間がかかった。モチベーションがまったく上がらなかった。
語り手の視点がはっきりしない、登場人物が無駄に多すぎて把握できない、話の筋にメリハリがない、なにを言いたいのかがよくわからない……。(そのくせ理性だけは要求してくる)
不完全燃焼。
語り手は一応「全知の語り手」。"ich"(わたし)や"wir"(わたしたち)を使うことによって、作中人物との「一体感」を示す。
でも実際は「全知なんだけれどもったいぶって話さない」ことが多くて、伏線を張るだけ張って、回収しないままに幕が下りたみたい。オープン・エンドというより「書きっぱなし」という印象。
絵に描いたような、平和な夏の日の日常の中に垣間見える「ゆらぎ」。
あ、面白いかも、と思った瞬間に打ち切られて、次のエピソードが挿入される。その繰り返し。
「理想郷なんてものは存在しない」
作品のメッセージは、こんなところなのかなあと思うけれど。
単純にメクレンブルク=DDR、という図式で捉えると、ちょっとがっかり。
その後に発表したのが件の『残るものはなにか』であることを考えると、そう外れていはしないんじゃないかって気もする。
あまりにも『カッサンドラ』から離れすぎたので、そろそろ帰ろうかと思います。ひとまずは。
クリスタ・ヴォルフ著(1986)。邦題『チェルノブイリ原発事故』。
邦訳の表題がヘヴィ。気軽に「読んでみるか」って気があまり起こらなさそう。
語り手「わたし」が、「チェルノブイリ原発事故」と「弟が受ける脳の手術」というトピックについてつらつらと語る、日記風の作品。前者はモノローグとして、後者は弟への語りかけとして書かれている。
片や、人類を滅ぼしかねない科学の力。片や、人類を救う科学の力。そのはざまで、語り手は科学のありかた、人のありかたについて考える。
かれんだー
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りんく
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ぷろふぃーる
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。