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ゆうゆう自適。

つらつら、まったり。つれづれ(不定期)雑記帳。海風薫るロストックから伯林、そして再び東京へ。再びドイツへ「帰る」日を夢見て、今日も今日とてしゅぎょう中。
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午前中~お昼にかけてハカセ(仮)の参加している勉強会にくっついていった。
聖書(ゴート語)を読む会。まことに残念だけれどひとっこともわからん。

聖書の勉強をしないとなあとは思うけれど、いきなり外国語はハードルが高すぎる!

そんなわけで、自分の作業に着手&ときどき幼児と遊ばせていただいたのでありました。


夕方からは韓国人のお友達と再会!
ベトナム料理を食べながら、近況報告。
積もるはなしはたくさんあるけれど、楽しい時間が過ぎるのはあっという間だねえ……。

Sくんと合流し、ベルリン・ドイツ・オペラで『マクベス』を鑑賞。
つい先日、新演出として初日を迎えたばかり。
ああ、3か月ぶりのオペラだ!

『マクベス』と聞いて思い出すのは、10年前に受けた英語の授業。
シェイクスピアの英語がわからず「あ~う~」とわめいていた記憶があります。
「マクベスのモノローグを現代英語に直せ」という問題が試験に出て、テキストの横に出ていた現代語訳(現代英語による解説つきの教科書、持ち込み可の試験)にすがりついた覚えがあります。

はなしの筋は、原作に忠実。
思い入れがあるせいか、同じヴェルディ作品でも『オテロ』より『マクベス』のほうがわかりやすい。

演出がまたおもしろかった。
まるで「独裁化していく共産主義国家」を彷彿とさせるかのような舞台。
ダンカン王に従うマクベスとバンクォー。「いずれ王になる」という魔女の予言を受けたマクベスは妻に背中を押され、王を暗殺、同じく魔女によって「王の父となる」と予言されたバンクォーをもなき者にする。

ここからはじまる独裁体制。
スターリンを思い起こさせるでっかい肖像画、コンクリートの壁にびっしりと貼られた写真(遺影?)。コンクリートと書きましたが舞台は始終灰色で薄暗い。とにかくおどろおどろしい。

案の定「どっちがマクベスでどっちがバンクォーだ問題」が発生しかかりましたが、『オテロ』よりも登場人物が少ないのでさほど混乱せず。

音楽はわかりやすく、演奏、ソリストたちのパフォーマンスはとにかくすばらしい。

CIMG0151.JPG

「しゅっちょう」の間に一度は行こうと思っていたオペラ。
この3人で聴きにいくことができて本当によかった。
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ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「椿姫」(原題La Traviata、「堕落した女」の意)を観てきました。
前回の「後宮からの誘拐」と同じく、シラー劇場にて。


舞台はパリ。高級娼婦のヴィオレッタは、貴族のパトロンに支えられ、日々華やかな暮らしをしていた。ある日、彼女は自宅のパーティーで青年・アルフレードと出会う。
一年前から彼女のことが好きだったというアルフレードを最初は軽くあしらうものの、その純粋な想いに心動かされるヴィオレッタ。やがて彼女はすべてを手放し、アルフレードとともに静かに暮らすことを選ぶ。

幸せな生活を営んでいたヴィオレッタだったが、息子の留守中に突如として現れたアルフレードの父の懇願により、身を引くことを余儀なくされる。一通の手紙を残し、姿を消すヴィオレッタ。裏切られたと絶望するアルフレード。
数カ月後、ふたりはとある仮面舞踏会で再会する。アルフレードはヴィオレッタに復縁を迫るも、父親との約束で真実を明かせない彼女は、あえて別の男と愛していると言う。激昂したアルフレードはその場でヴィオレッタを侮辱してしまう。

アルフレードの父は息子にすべてを告白し、ついにヴィオレッタとの交際を許す。しかしアルフレードがヴィオレッタのもとに駆けつけたとき、彼女は死の床に伏していた……。


演出はシンプルかつ独特。光と影、白と黒、という二面性が際立っていた。
舞台を薄いヴェールで多い、映像(窓ガラスを伝う雨粒、光など)を投影する手法がおもしろかった。

ヴィオレッタのみが純白のドレスをまとっていて、あとは全員黒い服。なんだか「白いカラス」を彷彿させる……実際、ヴィオレッタが「仲間はずれ」にされるような状況は一度もないのですが(高級娼婦を中心とする貴族社会はヴィオレッタに対して友好的)。

しかしヴィオレッタのパフォーマンスがどうにも理解できなかった。始終、ストレッチのようなポーズを取りながら動く彼女は、なんだか夢遊病のひとのよう。現と幻の境目、ということなのだろうか。たしかに、浮世離れはしているんだけれど。

ぐだぐだ書いていますが、歌は素晴らしかった。ヴィオレッタの声が、のびる、のびる。あれだけの高音なのに、ちっともぶれない。

期待の新人(らしい)ヴィットリオ・グリゴロ(イケメン!)がアルフレード役をやるということで、もともとはベルリン・ドイツ・オペラに行きたかったんだけれど、シラー劇場版もいい。満足です。
唯一残念なことといえば、ヴィットリオが実は2月前半にシラー劇場でも歌っていたのを ま っ た く 知 ら な か っ た ということ。うあああ、プログラム手元にあるのに!超節穴!

いやいいんだ、今日のアルフレード役のソリストの歌声もすてきだったよ……。

それにしても、ベルリン・ドイツ・オペラとシラー劇場両方で歌うなんて、アルフレード役はヴィットリオの十八番なんだろうか。正直、この作品ではヴィオレッタとアルフレードパパのインパクトが強すぎて、アルフレードは若干影が薄めだった。


ヴェルディは曲が華やかだったなあ。
来月は「オテロ」をぜひ観に行きたい。ちなみに、今日のベルリン・ドイツ・オペラの演目はまさに「オテロ」で、当然ながら観に行けず。ぬう。

W.A. モーツァルトの「後宮からの誘拐」を観に行ってきました。ひさびさのオペラ。

トルコの太守セリムに誘拐された婚約者・コンスタンツェを救い出すため、スペインの貴族・ベルモンテは召使いのペドリッロの力を借り、王宮に忍び込もうとする……。

モーツァルトの初期のオペラ。
彼の作品の中でも、比較的「お気楽」な部類に入るのだそうな。

軽快で耳に心地よい音楽、
シンプルな展開、
適度に織り込まれたトルコ文化(=エキゾチックなもの)に対するあこがれ……

モーツァルトの後期の作品に比べると「メリハリ」が抑えられていて、休憩も入らない(上演時間は2時間10分)ので、集中力を保つのが少しつらかった。気楽に聴いていればいいはずなのに、なぜか真逆の状況。
演出もものすごくシンプルで、舞台装置のようなものが一切ない。舞台が「上半分」と「下半分」に区切られていたくらい。そのせいか、ソリストたちの歌唱力がものすごく際立っていた気がする。素晴らしかった。

女中・ブロンデがイギリス人という設定だからか、英語の台詞がいくらか盛り込まれていた。結構過激な台詞だったので、「えっ、モーツァルトの時代に英語?しかもこんなトーンで?」と一瞬焦った。歌と台詞のパートからなるジングシュピール(Singspiel)だからこそ実現できたのだろうなあ。

そういえば、ブロンデとペドリッロのカップル、ソリストさんが「The Rake's Progress」のアンとトムと一緒だった。どこかで聴いたことがあると思ったら!
リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ダナエの愛」を観てきました。
初演は、1952年ザルツブルクにて。シュトラウスの死後だそうです。

ベルリン・ドイツ・オペラでの初公演は、つい先日、1月23日に行われたばかり。
今日が2回目の公演。ネットで確認してみたところ、当日券がたくさん出そうだったので安心していたら、結構早めに来て順番待ちをしているひとがいた。(今日に限ってだいぶ早めにオペラ座に着いたので、さくっと列に並べた。やったあ!)

「ダナエの愛」はギリシア神話「ダナエとゼウス」を自由にアレンジした作品。
ダナエといえば、黄金の雨に姿を変えたゼウスと(そうとは知らずに)交わり、ペルセウスを産んだ王女。シュトラウスのオペラでも、ダナエがゼウスに見初められるところまでは同じですが、全能の神が黄金の雨となって登場するのはダナエの夢の中。後に、ゼウスはダナエの求婚者・ミダスの名前を借り、姫を誘惑しようとする。
一方、名前と地位と引き換えに「その手、唇で触れたものを黄金に変える力」を与えられたミダスは、伝令として愛しいダナエの前に姿を現す……。

「全3幕からなる明るい神話」だそうです。
まあ、喜劇といえば喜劇なのか。

筋はシンプルでわかりやすかった。
ソリストたちの歌もよかった。(ダナエ役が高音に苦労していたようなところも少しあったけれど、あのメロディーラインに乗せて歌うのは至難の業だと思う。ワーグナー級!)

しかし、演出がなんだかよくわからなかった……。

第1幕でスーツを来た男性が登場したり、グランド・ピアノが置いてあったりしたので、舞台を現代に移しての演出なのだとばかり思っていた。
でも、第1幕後半から急に「古代ギリシア」のトーンになって、なんだかちぐはぐな印象を受けた。冒頭に出たグランド・ピアノを天井から吊るす意味もなんだかよくわからない。休憩前(第1幕、第2幕)なら納得がいくけれど、休憩後の第3幕(舞台は砂漠!)でも相変わらずグランド・ピアノが吊るされていた……。なにかの記号?

「黄金の雨が降る」「黄金を差し出す」等の演出が、一部で「ビラ配り」「ビラ拾い」のような感じになっていたのも謎。黄金=ビラ?この記号(?)もよくわからない……。


友達が「舞台後方に非常口サインと消火器が見えた」といっていたのだけれど、これももしや演出の一部?だとしたらいよいよ中途半端だし、演出ですらなくて「うっかり隠すの忘れちゃった、てへっ」とかだったら残念極まりない。


「触れたものすべてが黄金に」という設定は、光で演出。なるほど。

ギリシア神話ベースなので、もっと華やかなものを勝手にイメージしていたら、案外そっけなくて少し残念。

これは自分の責任だと思うけれど、ちょっと集中力も切れた。
土曜日は休憩2回はさむみたいなのに、今日は1回……え、どこで違いが?


帰りの電車で、「ピアノが出てきててっきり現代風味に仕立てたのかと思いきや、現代まったく関係なかったね。それより、あの吊るされたピアノはどう解釈すればいいんだろう」と話しているおじさんがいて、激しく賛同したくなった。そうだよね!

オペレッタ「こうもり」を観てきました。
昔ドイツ語の授業(祝祭がテーマ)で、パーティーの場面だけテクスト精読した気がする。そんな、ちょっとだけ思い入れのある作品。


「コジ・ファン・トゥッテ」と同じく、舞台を現代に移しての演出。
お屋敷が「高層マンション」という設定になっていたっぽいので、比較的最近……なのか?

台詞のパートはスコアには書かれておらず、時事ネタ・地域ネタ(ベルリンネタ?)が随所にちりばめられていたところから、演出家によって変わってくるのでしょう。(たぶん)「ナマモノ」も意外と取り入れられていたので、その都度アドリブも加えられたりするのかも?何年かに一回、観に行くと新しい発見があるのかも。


パーティーが行われるのは大みそか、という設定なのだそうです。
にぎやかだったなー。華やかだったなー。


ドイツ語のオペラ/オペレッタは字幕が出ないので、歌詞の内容がちょっと聴きとりづらい。
相変わらずの初心者なので、さくっとリブレットに目を通してから観たほうが、断然理解できる。「魔笛」などはそのパターン。とはいえ、話の筋はちゃんと把握した上で臨んだので、理解には特に困らなかった。

音楽が大変聴きやすかった!
ゆったり夢見心地になりました。

あと、笑いの取りかたも気持ちがよかった!


総合的に、とても親しみ、好感の持てるオペレッタでした。

かれんだー

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ドイツ生まれ、ドイツ育ちの「なんとなく日本人」。根っからのラインラントっこ。

日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。

深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。

2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。

ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。


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