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ゆうゆう自適。

つらつら、まったり。つれづれ(不定期)雑記帳。海風薫るロストックから伯林、そして再び東京へ。再びドイツへ「帰る」日を夢見て、今日も今日とてしゅぎょう中。
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毎週月曜日はヨーンゾンについての講義を聴く日。
以前にもちょっと書きましたが、一般の方にも開かれている講義=講演なので、学生ではない方も結構聴きに来ています。

どうせ後方席は若い学生さんで埋め尽くされているので、はじめから前方のほうへ移動。大体いつもすみっこにちょこーんと座るのですが、今日は映画を上映するということで、比較的聴衆が多い(ちょっと理論っぽい話になると、これがものすごい勢いで激減する)。よって、今日はすみっこも埋め尽くされている。さてどうするか。てけてけ歩いて、初老の男性の隣に座ることにしました。

開始まで少し時間があったので、このお隣の男性と少しお話。

見た目が(会場では非常に珍しい)非ドイツ人であり、加えて先生が二回目くらいの講演で「こちらのYuNさんはヨーンゾンを研究するためにベルリンではなくロストックを留学先に選んでくれたのです!」と大々的にアナウンスを行ったため、よくも悪くも「悪目立ち」しているわたし。この男性も、「外国の人なのにヨーンゾンを研究しているなんてびっくり」と思って話しかけてきたのかもしれません。

(あとで「実はドイツの生まれなんです」と種明かしをすると、「なんだ、それでは、あなたに対して抱いた尊敬の念を少し撤回しないといけませんね」といたずらっぽく笑った。チャーミングなおじいさんだ……)

「ヨーンゾンがいた場所はめぐってみましたか?」
「まだです。ゆくゆくは足を運んでみるつもりです」
「それがいいと思いますよ」

そんな感じでのんびりとお話をしていたのですが、しばらく後に、とんでもない事実が発覚。

この男性、
ヨーンゾンを個人的に知っていたのだそうです。
それどころか、ヨーンゾンとは同年代で(つまり「初」老ではなかった!75歳超えているよ!)同じ学生寮に住んでいたらしい!

「いやー、彼はドイツ語学科で、わたしは物理学科だったから、寮で顔を合わせる程度だったけどね」

いやいやいやいや、

生前のヨーンゾンを知っていた、というだけでもすごすぎる!
しかも「彼がライプツィヒに行ってから一度遊びに行ったこともあるよ」とも言っていたので、結構親しかったのではないかと思われる。(西ドイツに渡ったあたりから音信不通になったみたいですが)

はー。

文字と写真のみを媒体としている間は、作家の人物像ってどうも現実味を帯びてこないときがあるけれど、この瞬間、自分の中にある「モノクロイメージ」に一気に色がついたよ。


それは今回見た映画も同じ。ヨーンゾンが一時期新聞で連載していた旧東ドイツのテレビ批評のもとになった映像(ドキュメンタリー)を見たのですが、文字だけではまったく浮かび上がってこなかったイメージが、部分的ではあるけれど、はっきりとかたちを得た。


「これはたしかにあったはなしなのだ」と。
ヨーンゾンは、たしかにこの映像を見て、これらについてコラムを書いたのだと。


世界が、ほんの少し変わった気がする。
それほどにすごい夜だった。


帰り道が一緒だったので、隣の席のおじいさんと帰宅。
今日見たドキュメンタリーについてお話しました。

このドキュメンタリーはドイツでも各地で上映されて、そこに映し出された旧東ドイツの映像に、しばしば笑いが巻き起こったそうです。映像が滑稽に映ったのか?西ドイツに対する「いいがかり」に笑いがこみ上げたのか?その辺はわからないけれど。

でも、おじいさんはこう言った。
「わたしはむしろ涙が出そうになったよ」と。


東ドイツは平和なんだよ、西ドイツこそが悪なんだよ、というメッセージを懸命に発信する幾多の番組。

「でも現実はそうじゃない。あそこに映し出された映像よりも、はるかに悪い時代をわたしは知っている」

書記長ホーネッカーが演説する場面などは、その欺瞞にあふれたことばに憤りを覚えたそうです。(奥さまを連れてこなくて本当によかった、とも言っていました)
ドイツ国境(西と東の境目)で逃亡者が出た折に銃弾に倒れた兵士の死を悼み、西ドイツに対して怒りをぶつけるホーネッカー。しかし、この兵士の死は実は「自国(=旧東ドイツ)の兵士の誤射」によるもの。ホーネッカーはその事実を知っていて、兵士の両親をはじめ旧東ドイツの国民に真相を伏せ、彼の死をプロパガンダとして利用したのです。この兵士はロストックの出身で、おじいさんは彼の父親と親しくしていたとのこと。結局、真実が明らかになったのは、兵士の両親が他界したあとのことだったそうです。


その後、おじいさんは自分の家族のはなしもしてくれました。

娘さんは、政治的な文章を書いたがために、アビトゥア(ドイツの高校卒業試験)を受けさせてもらえなかった。
息子さん夫婦は、ハンガリーから西ドイツへ「逃亡」する計画を立てたけれど、国境付近で捕まって裁判にかけられ、投獄。

「こういう時代もあったのだと、知ってもらいたい」と、半世紀以上ロストックで暮らしているおじいさんは言った。

「そういうことがあった」ということは、知っていたけれど、
実際にそれらを(間接的にではあっても)経験した人の口から聞くと、途端に現実味を帯びる。


これはたしかにあったはなしなのだ、と。


旧東ドイツだけのはなしじゃない。
ドイツ全体のはなしなんだ。

ドイツの歴史は第二次世界大戦で終わりじゃない。その続きだってちゃんとある。
「ドイツは西と東に分かれたけれど、ソ連が衰退するとともに徐々に関係が良好になって、めでたく再統一!」で済むはなしじゃない。

まだ、足りない。

もっと知らなければ。
もっとたくさん知って、いつか、それを伝えられるようになれたら。


ヘルメットをかぶって、さっそうと自転車を漕いで去ってゆくおじいさんを見て、がんばるぞ、と決意を新たにした夜でした。

本当にどうもありがとう。
また、会えたらいいな。
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ドイツ生まれ、ドイツ育ちの「なんとなく日本人」。根っからのラインラントっこ。

日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。

深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。

2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。

ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。


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