ゆうゆう自適。
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一年前、バウハウス・デッサウ展東京で大変お世話になったキュレーター・Tさんと再会。
最後の巡回展・宇都宮美術館からいただいた招待状にTさん主催のワークショップが告知されていたので、来日することは知っていたけれど。宇都宮に行く余裕はなくて、残念だけれど会えないなあ、とすっかり諦めていた。後日、メールで緊急報告しよう、そうしよう……と。
だから、一週間ほど前に「よかったらお茶でも飲みましょう」というメールが届いたときはびっくりしたし、覚えていてもらえてすごくうれしかった。
即座に返信をしたものの、毎日多忙なTさんとはなかなか連絡がつかず、「今日の午後はどうでしょう?」というメールを夕方に読んだときは「やっぱり無理かもしれない」という諦念が脳裏をよぎった。
ええいダメもとだ!と即座に返信、電話番号を伝えて、滞在先のホテルにも「遅くなってもいいので電話ください」と伝言をお願いして。
こまめにメールボックスをチェックしていたら、深夜に「明日の朝9時から10時半の間はどうでしょう」という衝撃の連絡が入っていた。これ、寝る前に見ていなかったらどうなっていたんだろう。
時間(9時半!)と待ち合わせ場所の確認をして返信、就寝。翌朝(すなわち今日)にOKの返事を確認して、そのままGO!
目的地と時間はだいじょうぶかな、と始終どきどきしていましたが、無事、Tさんに会うことができました。
お茶をしながら、近況報告。
一年前の「通訳大惨事」が話題にのぼったり、恥ずかしいやらなにやら。これは、これからも語り草になるんだろうか。それこそも笑い話にできてしまえるくらい、充実した一週間だったなあ。
ふと話が途切れたときに、Tさんが「そろそろ"du"でお話しませんか?」と切り出してきた。
もちろん異存なんてあるはずもない。
Tさんとは「キュレーター」と「にわか通訳」という関係で知り合ったから、お互いずーっと敬語(「あなた」すなわち、"Sie")で話かけていて。彼と親しいひとたちがみんな「きみ」"du"で話しかけているのを見て、いいなあと思っていながらも、自分から言いだすのはどうにも気が引けていた。
ドイツ人と親しくしている方の間ではよく聞く話ですが、この"Sie"から"du"に切り替えるタイミングを見極めるのは難しい。学生であれば、10歳年上だろうが年下だろうが、最初から問答無用で"du"にできるので楽だけれど、今回みたいに途中で変えたい場合(それも自分のほうが立場が下である場合)ってどうすればいいのか未だによくわからない。
これは日本人の友達相手でも同じことで、最初敬語で話していた人、特に「先輩」が「友達」になった場合、自分の「ですます口調」に違和感を覚えながらもそのまま続行。伝達レベルにおいて問題がないとはいえ、……うーん。
だからこそ、今回の申し出は本当にうれしかったわけです。
あらためて、自己紹介。
「こんにちは、Tです」「こんにちは、YuNです」
"du"で。苗字ではなく、ファーストネームで。
ここからは、「友達」です。
12時に大学に行かなければならなかったので、Tさんとは11時過ぎにお別れ。
少しの時間だけれど、会えて本当にうれしかった!
また、逢う日まで。
ちなみに、ホテルの伝言はチェックアウト直前に渡されたらしい。残念!
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かれんだー
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ぷろふぃーる
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。