ゆうゆう自適。
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ベルリン生活、いよいよ今日からスタート。
案の定、全身が痛い。万歳とか絶対にできない(そんな予定もないけど)。
今後の事務手続きを円滑にするために、今日は朝一番(といっても11時から)で市役所に行って……きたかったんだよねえ。
買い出しに行ってから朝ごはんを食べ、それから出発。その時点でもう出遅れている。しかも受け付けまで行って家主のサインの入った申請書を家に忘れてきたことに気がつき、ふりだしにもどる。
実は今朝、ロストックから送った荷物の「第一陣」が届きました。4/7。セレクトの基準はわからないけれど、たぶん「ワレモノ注意」のシールが貼ってある箱。
家主のサイン入り申請書、実はこの「第一陣」の中にまぎれていました。この申請書が見つかったのは、今日荷物が届いたおかげであり、今日荷物を受けとることができたのは、朝、出遅れたから。そう考えると、たるたる動いたのも結果的には悪くなかった(超こじつけ)。
2度目の市役所訪問。整理番号を渡されました。「93番」。
現在の受け付け番号は「30」。これは優に1時間以上はかかるな……。
こんなこともあろうかと、テオドール・フォンターネの『わたしの幼年時代』Meine Kinderjahreを持参。隣に座っていたおじさんに「わたしも本を持ってくればよかったなあ」とうらやましがられた。えへへ。
待ち時間は1時間強。
しかし昨日の疲労がたたり、ぼけーっと座っている間に順番が回ってきた。
国籍、誕生日、前住所……と、簡単な質問をいくつかされる。
ドイツだと「誕生地」を訊かれるケースが多いのですが、今回もやはり訊かれました。わたしの場合、ドイツの都市名を挙げることになります。(Bielefeld)
「出生地Bielefeld」なんていうと、大体笑うか仰天するのかのどちらか。住民課の担当者は仰天しました。
「え?じゃああなた国籍は?ドイツじゃないんですか?」
時代が時代なら2重国籍になれる可能性だってあったんだろうけれど、わたしが生まれた当時は2重国籍は許されていなかった。うちの両親もわたしが生まれて早々ドイツ国籍を破棄してしまったので、「ドイツ人」だったことはいまだかつてありません。
しかし生まれがドイツなもので、ことあるごとに「2重国籍問題」が浮上する。今回も、
「え?Bielefeld?パスポートには書いてないじゃないですか」
と念入りに書類をチェックしはじめた。日本のパスポートには本籍は書いてあるけど出生地は書いていない。せいぜい、世間話程度。
「そんなにおっしゃるなら免許証をお見せしましょうか?」
ときたところで、じゃあいいよという話になった。
別に身分偽らないよー、もー。
そんなこんなでさくっと手続き終了。
晴れて「伯林市民」となりました。
明日はベルリン・フンボルト大学(HU)で入学手続きだ!
今日は自由大学(FU)にお邪魔。
友人にアカウントを借りてメールを書かせてもらうことに。
まず、キャンパスを素通りして敷地を通過。
軽く迷子になりました。
……や、やさしくない。田舎ものにやさしくない!
なんでこんなに道が多いんだー、ぎゃー。
どうにか友人と合流してネットサーフィン、その足でIKEAに行って洋服掛けを購入。
徐々に、徐々に、新居が「わたしの空間」となりつつあります。大事に、大事に生活しないとね。
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かれんだー
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ぷろふぃーる
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。