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ゆうゆう自適。

つらつら、まったり。つれづれ(不定期)雑記帳。海風薫るロストックから伯林、そして再び東京へ。再びドイツへ「帰る」日を夢見て、今日も今日とてしゅぎょう中。
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テクストを準備していない状態で、文学理論のゼミに出席するのは、あまりに不毛すぎる。
 
論文を半分ほど読んでいたとしても、(このゼミでは)意味がない。
問われるのも、議論の対象になるのも、テクストのエッセンス。本文の精読が行われる気配もない。(バルトのテクストに出てくる具体例についてくらい、言及してよ!と"silent lips"で叫ぶしかない)

 
ドイツ語で文学理論の勉強をしたことはないので(独学でちょっと入門書を読んだ程度)、学ぶことはたくさんあるけれど、「隅っこに座って気配を消す」以外になにもできない自分が情けない。うあぁ。
 
講師のほうも「あぁ残念な子なのね」と察したのか、名指しすらされないというまことに残念すぎる展開。(テクスト未読で発言できることがあるならとっくにしてるさ!)


じっとじっと、がまんの子……。
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今日からロストックで3日間Blockseminar(集中ゼミ)!
ハーバードから招いたjounior professor(ドイツ人)と、うちの指導教官がタッグを組みました。
 
題目は「文学理論」。ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、クロード・レヴィ=ストロースなど、日本語でも扱ったことのある思想家のテクストをドイツ語で読んで、議論する。
 
 
オープニングは、講義。最初、ゲストの原稿を読むスピードが早すぎて、引用文がまったく頭に入らなかった。
「こんな調子でだいじょうぶか?」と不安になるも、不思議なことに、最後には話がうまーくまとまった。

 
次いで、怒涛の集中ゼミの開幕。

 
もはや言い訳に過ぎないけれど、月曜日にどーん!と送られたPDFファイル200ページ分+本2冊のノルマはとうとうクリアできなかった。かろうじて、初日に扱うテクストにさっと目を通した程度。まともに議論できるコンディションではない。
この膨大な量のテクストを、一体どんなふうに論じていくんだろう?と疑問に思ってはいたけれど、どうやらテクストを簡単に総括→そのエッセンスについて議論、という流れに。精読パートなど存在しないらしい。(しかもレヴィ=ストロースの論文を一本カットされた……よりによって読んだものを割愛されるとは!)
 
今日はまだはなしについて行けたけれど、課題テクストがほとんど読み終わっていない明日とかどうなるんだろう……ううう。

とりあえず、修行と思ってがんばります。

そして終わらぬ課題。

14日~16日は古巣・ロストックに里帰りしてきます。
って遊びではなくて、集中ゼミに参加するので、のんびり骨休めをしている暇はなさそうです……。

よし、がんばってこよう。

その前にあと50ページくらい目を通しておきたい。
あわわわ。

「ごめん、朝食なにも用意していないから外に食べに行こう」と、自分の講義を控えた仲間に気を遣わせてしまい、近所でモーニング・セットをいただくことに。
はああ、毎日通っていたDoberaner Platzだけれど、こんなモーニング・セットが食べられるカフェがあったなんて!チェック・シートにマークをつけて朝食メニューを自由に組み合わせるシステム。チャバタとサラミ、ちょっとゼイタクしてカマンベールなんかもつけてしまった。おいしかったー!コーヒー・お茶は最初の一杯はサービスなので、ものすごくリーズナブル。
 
去ってはじめて発見するロストック!
 
食後、仲間は授業へ、わたしは「さとがえり」ツアーへ。
 
手はじめに繁華街Kröpeliner Str.へ行って、プリペイド・サーフスティックのチャージと、郵便局にて手紙を一通出す。なにも今やらんでもいいんじゃないの、と思わなくもないけれど、勝手知ったる場所で手続きするのが一番いい。
 
DSCF3672.JPG大学広場では、クリスマス・マーケットの準備が行われていた。そうか、もう来週からだよね!ベルリンでも準備が進んでいるのかな。
が、がんばって研究を進めて、クリスマス前シーズンにお師匠に面談をお願いして、ロストックのクリスマス・マーケットを堪能してやるんだ!
 
その後は券売機(いつの間にか最新式にリニューアルされていた!)で切符を購入して、ヴァルネミュンデへ。寮の最寄り駅で途中下車して、寮の前を通ってからSバーンに乗り換え。郵便受けの表札が変わっていた。わたしのあとに入った住民は、あの部屋をどのように使っているんだろうな。さすがに、わたしみたいにデフォルト仕様ではないと思うんだけれど。
 
 
DSCF3673.JPGたどり着いたヴァルネミュンデは、オフ・シーズンを迎えたためか、ものすごく閑散としていた。冬枯れのリゾート地。大半のお店は週末のみの営業らしい。イタリアン・ジェラート屋さんは夏季まで里帰りの模様。
それでもお気に入りの船上屋台は元気に営業中!なつかしのHeilbutt(オヒョウ)のサンドを購入。そうそう、これ、引っ越す前に食べたかったんだー。
 
DSCF3675.JPG DSCF3676.JPG
 
そのまま、灯台に向かって歩く。
浜辺も突堤も、見事なまでにひとけがない。風はベルリンよりも冷たくて、寒い、というよりは、刺すように痛い。けれど海はとてもとても穏やかで、こんなバルト海も風情があっていいなあ、と思ったのでした。
 
DSCF3682.JPG
 
カモメさんたちは相変わらずメタボ気味だったけれど、
 
 DSCF3683.JPG
 
観光客のおこぼれに預かる機会がぐっと減ったせいか、お魚サンドを購入した人たちを派手に襲っていました。恐ろしい子たち!さっきは反対方向に向かって歩いたから、襲われなくてすんだのかな……。
 
DSCF3685.JPG
 
かもさん。きみたちも寒いんだね。
 
 
1か月半ぶりの「帰郷」。
早めにベルリンに帰りたかったので、ゆっくりヴァルノウ川沿いを歩く余裕もなかったけれど、それはまたの機会に……。
 
また、帰ってくるさ。
だってロストックはもう、「帰りたいと思う場所」だもの。
 
DSCF3686.JPG

だいすきだ!
今回、なぜかベルリン‐ロストック間の運賃が若干上がっていて、なんでかな?と思っていたのだけれど、もしかしたらWaren-Müritz-ギュストロー間の工事により、ルートが変更になっているためかもしれない。
……しかし正直なはなし、工事を頼んだのはわたしじゃないし、このルート変更により(数分程度だけれど)遅れが生じているのだから、値上げをされても……という気持ちになる。一番大変なのはギュストローで乗り降りするひとで、バスで臨時駅まで乗り継がなければならない。工事を行う必要があるにせよ、現状は百害あって一利もない……。
 
そんなこんなでロストック到着も10分ほど送れ、お迎えに来てくれた担当者さんに余計な心配をかけてしまった。理不尽だ!
 
着いて早々、女性スタッフの会食欠席を聞かされ、「女性の代表者」の代役に認定される。ひいい、「しゅっちょう!」にしていきなりの大役!
 
担当者さんと一緒に、Fluchthelferさんと待ち合わせをしているカフェへ。あ、このカフェ、いつも前を通っていたけれど入ったことなかったな……とぼんやり思っているうちに、Fluchthelferさんとご対面。新聞のインタビューの予約が入っていたので、横から彼らのやりとりをながめていること30分。なんとなく気難しそうなひとを想像していたのだけれど、気さくな印象のおじいちゃんだった。
その後、会食の席で一瞬、隣になったときも(のちに諸事情により席替え)、「わたしのこと怖くないよね?」と尋ねてきた。にこにこ、いらずらっ子みたいな笑顔。畏怖の念みたいなものがこのときにふっと消えて、普通に会話ができるようになった。ベルリン在住の方だったためか、「今日はベルリンから来ました」というと、フレンドリーさが更にアップ。しかも、割とご近所さんの模様。
 
食後にFluchthelferさんとお師匠の対談in地元の書店。ヨーンゾンのインタビュー本を掘り下げる内容のトークで、オリジナル・テープを紹介してもらったり、Fluchthelferさんが現在執筆している本の抜粋が朗読されたり、なかなか濃い2時間でした。
……イベントの最中に腹痛に襲われ、後半1時間はまったく生きた心地がしなかったんだけれど、それさえなければもっと心から楽しめたんだろうなあ、と思うと残念で仕方がない。あーあ。
 
イベント後は地元の飲み屋でプチ打ち上げ。書店のオーナーさんがFluchthelferさんにサインをお願いしたのに乗じて、わたしも持参したインタビュー本にサインをお願いした。単に名前を入れるだけかと思いきや、ご丁寧にメッセージまで書いていただいた。
 
「Wahl-Berlinerinと過ごしたロストックの夜を記念して」
 
Wahl-Berlinerin。自らの意思で、ベルリンっ子であることを選択したひと。
 
今やわたしは「ロストックっ子」ではなく、「ベルリンっ子」なのか。
ちょっと淋しいけれど、それと同時にちょっとうれしい。
 
ロストックもベルリンも、自分の意思で選び取った。
ロストックで生活していたときは、Wahl-Rostockerin。今は、Wahl-Berlinerin。
 
根っこの部分は、なんだかんだでRheinländerin
純粋な東京っ子にはなれそうにもないけれど、東京だって居場所のひとつ。Wahl-Tokyoterin
 
「わたしは、今自分がいる場所こそが故郷だと思っている。家があるところが故郷なんだ」
 
と、Fluchthelferさんは言った。それもひとつのふるさとのかたち。
ヨーンゾンは心の中にある失われた故郷を求めた。それだってひとつのふるさと。
 
わたしは、その中間にいるのかなと思う。
 
今いる場所もかつて住んでいた場所も、同じくらい大切に思うし、どちらがいいなんて一概に言えない。あれだけロストックに、メクレンブルクに帰りたい!っていっていたけれど、なんだかんだでベルリンに愛着を覚えつつある。メクレンブルクにもベルリンにもそれぞれよいところと悪いところがあって、どっちのほうがいい、なんて簡単にはいえないよ。今すぐラインラントに引っ越せ!って言われようものなら、それはそれで困惑する。
 
Heimat(故郷)。
Wahl-Heimat(選び取った故郷)。
 
それは、今「帰る場所」。
そして、「帰りたいと願う場所」。
 
2011年11月15日時点の、わたしの「故郷」。
 

かれんだー

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ドイツ生まれ、ドイツ育ちの「なんとなく日本人」。根っからのラインラントっこ。

日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。

深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。

2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。

ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。


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