ゆうゆう自適。
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6月半ばにロストックで国際ワークショップが開催されるのですが、そこで発表することが決まっています。当然、渡航のためのフライトチケットを手配しなければならない。
東京に戻る前から次の渡独のチケットを探すのもなんか変なはなしだけれど、早めに探したほうがいいかな……ということで、折を見てはチェックしていました。
悩んだ末に、フィンエアーを使うことに決定!
学期の途中にもかかわらず、帰りはヘルシンキ一泊というふざけたスケジュール。(いやだってフィンランド観光する機会なんてそうそうあるものじゃないし……ごにょごにょ)
フライトを決めてしまったので、完全に後戻りできなくなりました。
覚悟を決めて、「たのしごと」に取りかかります。
ベルリーナ・アンサンブル(BE)でマックス・フリッシュの「アンドラ」を観てきた。
「アンドラ」は10年以上前に国語の授業で読んだけれど、当時の先生が好きになれなかった上にテクストを生理的に受けつけることができず、「トラウマの一冊」と化していた。フリッシュの作品自体に苦手意識を持つようになってしまって、『ホモ・ファーバー』『モントーク』を手に取ったのだってここ1、2年のはなし。
たまたまBEの上演プランに「アンドラ」の名前を発見し、いい機会だから観に行ってみるか……と軽い気持ちで観劇することに。
小国家、アンドラ。
青年アンドリは、ユダヤ人という理由で市民から差別を受けていた。
しかしアンドリはユダヤ人ではなく、アンドラ人の父と「黒き民の国」と呼ばれる隣国の女性との間にできた子だった。「黒い民」との関係が露見することを恐れた父は、アンドリを「瀕死のところを救ったユダヤ人」と称し、養子として引き取ることで世間を欺いていたのである。その事実を知らず、アンドリは「養父」の娘・バーブリーンと恋におちる。
ユダヤ人ではないのに、「だからユダヤ人は……」と差別を受けるアンドリ。
色欲、金銭欲、名誉欲。欲にとらわれたアンドラ人は、己のうちにある欲望から目をそむけ、アンドリを誹謗中傷する。
皆となにひとつ変わらないのに「おまえは違う」と異端の烙印を押され、バーブリーンとの結婚も父に反対されたアンドリは、ついに「ユダヤ人」としてのアイデンティティを受け入れるに至る。
隣国からやってきた実母は、アンドラ人に石を投げられ、殺されてしまう。
そして彼らは言う。「アンドリが石を投げるのを見た」と。
「ユダヤ人だから」ですべて片づけられてしまう現実に絶望したアンドリは、「黒き民」が進軍し、ユダヤ人の公開処刑を求めてきた際にも、抵抗ひとつしなかった。
父は首をつり、バーブリーンは正気を失う。
残されたアンドラの民は、口々に「自分は悪くなかった」と言い逃れをするのだった。
クラウス・パイマンの演出は非常にわかりやすかった。
ある種のかたよりはあるかもしれない、と思いながらも、圧倒されました。
「ひとと違う」ことに恐れ、
「皆と同じでありたい」がためにうそをつき、
そのうそが悲劇を呼ぶ。
偶像を造り上げることなかれ。
そう、フリッシュは言った。
アンドラ人は皆、アンドリをアンドリではなく、「ユダヤ人」としてしか認識せず、その上で勝手に「ユダヤ人」の像を造り上げていた。
「アンドラ」って、こんなに考えさせられる戯曲だったのか。
10年以上経って、再発見したような気分です。
俳優陣の演技が素晴らしかった。
明朗快活なアンドリの人格が、徐々に陰りを帯びていく過程に引き込まれる。
アンドラ人がそろいもそろって「いやなやつ」ばかりなのがまたすごい。
これもひとつの「偶像」なのだろうか……。
ようやく、「フリッシュ苦手意識」を払拭できたような気がする。
「アンドラ」を100%理解したとは到底いえないけれど、まず一歩。
2009年に急逝したバレエダンサー、ピナ・バウシュのドキュメンタリ映画「PINA」を観てきました。監督はヴィム・ヴェンダース。
本作品のお披露目は、先日のベルリン国際映画祭にて。チケットが飛ぶように売れて、前売りが買えなかったのは記憶に新しい。一般公開がすでに決まっていたため、ベルリナーレではあえて当日券を買わず、この日を待ちました。
今更ながら、3D映画でびゅー。
はじめて3Dメガネをかけて映画を観た。
お恥ずかしながら、ピナ・バウシュについては名前を聞いたことがある程度の知識しか持っていませんでした。コンテンポラリー・ダンスで活躍していた、といっても、コンテンポラリー・ダンスがどんなものなのかも実はよくわかっていない。今回、このドキュメンタリ映画を通して、なんとなくその一端を垣間見たような気がする。……うーん、もっと勉強しないとな。日本でも映像を見られる機会があればいいんだけれど。
表現することばを持たない辺りが「残念なYuNクオリティ」というところなのですが(ピナ・バウシュ、あるいはコンテンポラリー・ダンスに詳しいひとのはなしをぜひ聞きたい!)、コンテンポラリー・ダンスをよく知らないものとしては映像のひとつひとつが新鮮に感じられて、引きこまれた。断片ではなく、ぜひ通して観てみたい。
ヴッパータール舞踊団の芸術監督だったことから、ヴッパータールを舞台とした映像もちらほら。ああ空中鉄道(モノレール)!地元っ子(正確にいえば地元じゃないけれど)としては、テンションがあがります。
3Dによってライヴ・パフォーマンスを表現しよう!ということらしいですが、メガネ×3Dメガネで観るほうとしては結構ツライ。身もふたもないはなしだけれど、鼻筋が痛くなった。あと、ついつい3Dメガネをかける→外すでスクリーンの違いを見比べてしまった。ははは。
これ、DVD化したらどうなるんだろう?
今、巷で話題の(らしい)3Dテレビ買わないと観られないのかしら。
ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「椿姫」(原題La Traviata、「堕落した女」の意)を観てきました。
前回の「後宮からの誘拐」と同じく、シラー劇場にて。
舞台はパリ。高級娼婦のヴィオレッタは、貴族のパトロンに支えられ、日々華やかな暮らしをしていた。ある日、彼女は自宅のパーティーで青年・アルフレードと出会う。
一年前から彼女のことが好きだったというアルフレードを最初は軽くあしらうものの、その純粋な想いに心動かされるヴィオレッタ。やがて彼女はすべてを手放し、アルフレードとともに静かに暮らすことを選ぶ。
幸せな生活を営んでいたヴィオレッタだったが、息子の留守中に突如として現れたアルフレードの父の懇願により、身を引くことを余儀なくされる。一通の手紙を残し、姿を消すヴィオレッタ。裏切られたと絶望するアルフレード。
数カ月後、ふたりはとある仮面舞踏会で再会する。アルフレードはヴィオレッタに復縁を迫るも、父親との約束で真実を明かせない彼女は、あえて別の男と愛していると言う。激昂したアルフレードはその場でヴィオレッタを侮辱してしまう。
アルフレードの父は息子にすべてを告白し、ついにヴィオレッタとの交際を許す。しかしアルフレードがヴィオレッタのもとに駆けつけたとき、彼女は死の床に伏していた……。
演出はシンプルかつ独特。光と影、白と黒、という二面性が際立っていた。
舞台を薄いヴェールで多い、映像(窓ガラスを伝う雨粒、光など)を投影する手法がおもしろかった。
ヴィオレッタのみが純白のドレスをまとっていて、あとは全員黒い服。なんだか「白いカラス」を彷彿させる……実際、ヴィオレッタが「仲間はずれ」にされるような状況は一度もないのですが(高級娼婦を中心とする貴族社会はヴィオレッタに対して友好的)。
しかしヴィオレッタのパフォーマンスがどうにも理解できなかった。始終、ストレッチのようなポーズを取りながら動く彼女は、なんだか夢遊病のひとのよう。現と幻の境目、ということなのだろうか。たしかに、浮世離れはしているんだけれど。
ぐだぐだ書いていますが、歌は素晴らしかった。ヴィオレッタの声が、のびる、のびる。あれだけの高音なのに、ちっともぶれない。
期待の新人(らしい)ヴィットリオ・グリゴロ(イケメン!)がアルフレード役をやるということで、もともとはベルリン・ドイツ・オペラに行きたかったんだけれど、シラー劇場版もいい。満足です。
唯一残念なことといえば、ヴィットリオが実は2月前半にシラー劇場でも歌っていたのを ま っ た く 知 ら な か っ た ということ。うあああ、プログラム手元にあるのに!超節穴!
いやいいんだ、今日のアルフレード役のソリストの歌声もすてきだったよ……。
それにしても、ベルリン・ドイツ・オペラとシラー劇場両方で歌うなんて、アルフレード役はヴィットリオの十八番なんだろうか。正直、この作品ではヴィオレッタとアルフレードパパのインパクトが強すぎて、アルフレードは若干影が薄めだった。
ヴェルディは曲が華やかだったなあ。
来月は「オテロ」をぜひ観に行きたい。ちなみに、今日のベルリン・ドイツ・オペラの演目はまさに「オテロ」で、当然ながら観に行けず。ぬう。
かれんだー
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ぷろふぃーる
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。