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ゆうゆう自適。

つらつら、まったり。つれづれ(不定期)雑記帳。海風薫るロストックから伯林、そして再び東京へ。再びドイツへ「帰る」日を夢見て、今日も今日とてしゅぎょう中。
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ロストックに関する本をぺらぺらとめくっていたら、「ロストックの名誉市民」のリストが目にとまった。

ロストックの名誉市民といったら、作家のヴァルター・ケンポフスキーくらいしかわからないな、と思いながら、リストを追ってみる。1816年から順々に。

すると衝撃の事実が発覚。
 
ヒットラーが、ロストックの名誉市民になっていた……。
1933年に名誉市民権を獲得、1990年に剥奪。

……なんで?
いや、いろいろと。

1. ヒットラーはロストックに縁があったのか。
2. 「1990年に剥奪」ってことは、1989年までは名誉市民だったってこと?いくらなんでもそれはないだろう。

よくよくリストを見てみると、1990年、すなわちドイツが統一された年に名誉市民権を剥奪されている人はほかにも何人かいる。国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)の党員(ヒットラー含む)2人と、ドイツ社会主義統一党(SED)の党員3人。
SEDに関しては、東ドイツが存在している限り名誉市民権の剥奪はできなかったはずなので、統一後の剥奪になったのはわかる。でもNSDAPの2人はなんで40年以上も経ってからの剥奪になったんだろう。

気になったので、ちょっと調べてみました。
(手元に本がないので出典はWIKIPEDIA)
 
まず、ヒットラーは4000もの市町村の名誉市民になっていたそうで、ロストックと深いかかわりがあったわけでもないらしい。(名誉市民になった、というよりは、名誉市民にさせた、というほうが正しいんだろうな)
また、1946年には「戦争犯罪者の名誉市民権剥奪」が法律によって定められたので、この時点でNSDAPの党員は名誉市民権を喪失していることになる。さらにドイツでは名誉市民権は一般に「死んだら無効」になるらしく、わざわざ剥奪する必要もない……という意見もあるとのこと。
 
すでに失われている名誉市民権を、改めて剥奪するということには象徴的な意味がある。ベルリンは1948年の時点でヒットラー(とその仲間たち)から市民権を剥奪したらしい。
「戦争犯罪者(およびそれに準ずるもの)から名誉市民権を剥奪する」という動きは今日でも続いています。なんで今更?という疑問を誰しもが抱きそうなものですが、単に「ヒットラーが名誉市民権を与えられているのを知らなかった」というのが真相らしいです。デュッセルドルフは2000年になってようやく「名誉市民ヒットラー」の黒歴史に突き当たったらしい(※2000年という説と、2004年という説があります。sueddeutsche.deによると、「ヒットラーがデュッセルドルフの栄誉市民になっていたことが発覚したのが2000年」。WDR.deによると「2000年に剥奪決定」となっているので、2000年説が濃厚)。知らなかったよ!とびっくりしたけれど、知らなかったのはわたしだけじゃなくて、街そのものがすっかり忘れ去っていた模様。どうやらこれはデュッセルドルフだけのはなしではなくて、今年に入ってからも名誉市民権剥奪を行っている市町村があることからも、「発覚してびっくり」のケースはほかにもたくさんあるのでしょう。

Mönchengladbach-Rheydtが終戦後、早々にゲッベルスから名誉市民権を剥奪していることを考えると、おいおいしっかりしてくれよ、と思わなくもない。フランクフルトもハンブルクもミュンヘンも、大都市はすぐに動いているじゃない……と思いきや、以外なことにケルンも遅れを取っている。まあ大変。


ロストックの名誉市民リストには、ほかにもビスマルクの名前が連なっている。
これも名誉市民にさせたのか?と思いきや、名誉市民権を与えられたのはドイツ国首相をクビになったあと(1895年)なので、そうでもないらしい。

じゃあ、なにかしらの縁がある?
 
ぱっと思いつくのは、ビスマルクが「メクレンブルクって、50年くらい時代から取り残されているよね」と暴言を吐いたという逸話と、「ビスマルクニシン」(シュトラールズントの名物。ビスマルクの好物で、この名前がついたらしい)があるくらい?
 
またまた調べてみる。

WIKIPEDIAによると、帝国国会がビスマルクの80歳の誕生日を無視したことから、ドイツ全土(450の市町村)で「ビスマルクに敬意を表すために名誉市民権を与えよう!」という動きが起こったそうです。それが1895年。そうだったんだ!
 
つまり、その街に縁もゆかりもなくても、名誉市民にはなれるらしい。


うーん、勉強になった。



ドイツの歴史上の人物もっとも印象に残っているのは?と訊かれたら、ビスマルクと答える。

ビスマルクの外交手腕に圧倒されていたような覚えがある。
ドイツ帝国が衰退の途をたどることになったのだって、ヴィルヘルム2世がビスマルクをクビにしたからだろうと単純に思っています。(結果論ですが)

そしてアビトゥアの口頭試問のテキストが、クビになったビスマルクの「うらみつらみの手紙」だったのもよーく覚えている。


ビスマルクについては、高等部に進学してから学んだのだけれど、このときに出会った先生のおかげでこれまで大っきらいだった歴史に興味が持てるようになった。(年々ぎりぎりボーダーラインだった歴史の成績が、いきなり3段階上がるというすさまじい向上っぷり)

この先生はドイツ語の担当でもあって、この先生と出会わなければドイツ文学の道に進むこともなかったかもしれない。

思えば、旧東ドイツとわたしを引き合わせてくれたのもこの先生。

ビスマルク本人よりも、「ビスマルクと結びついていた日々」が印象に残っているのかもしれない。
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ドイツ生まれ、ドイツ育ちの「なんとなく日本人」。根っからのラインラントっこ。

日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。

深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。

2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。

ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。


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