ゆうゆう自適。
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ベルリン生活、いよいよ今日からスタート。
案の定、全身が痛い。万歳とか絶対にできない(そんな予定もないけど)。
今後の事務手続きを円滑にするために、今日は朝一番(といっても11時から)で市役所に行って……きたかったんだよねえ。
買い出しに行ってから朝ごはんを食べ、それから出発。その時点でもう出遅れている。しかも受け付けまで行って家主のサインの入った申請書を家に忘れてきたことに気がつき、ふりだしにもどる。
実は今朝、ロストックから送った荷物の「第一陣」が届きました。4/7。セレクトの基準はわからないけれど、たぶん「ワレモノ注意」のシールが貼ってある箱。
家主のサイン入り申請書、実はこの「第一陣」の中にまぎれていました。この申請書が見つかったのは、今日荷物が届いたおかげであり、今日荷物を受けとることができたのは、朝、出遅れたから。そう考えると、たるたる動いたのも結果的には悪くなかった(超こじつけ)。
2度目の市役所訪問。整理番号を渡されました。「93番」。
現在の受け付け番号は「30」。これは優に1時間以上はかかるな……。
こんなこともあろうかと、テオドール・フォンターネの『わたしの幼年時代』Meine Kinderjahreを持参。隣に座っていたおじさんに「わたしも本を持ってくればよかったなあ」とうらやましがられた。えへへ。
待ち時間は1時間強。
しかし昨日の疲労がたたり、ぼけーっと座っている間に順番が回ってきた。
国籍、誕生日、前住所……と、簡単な質問をいくつかされる。
ドイツだと「誕生地」を訊かれるケースが多いのですが、今回もやはり訊かれました。わたしの場合、ドイツの都市名を挙げることになります。(Bielefeld)
「出生地Bielefeld」なんていうと、大体笑うか仰天するのかのどちらか。住民課の担当者は仰天しました。
「え?じゃああなた国籍は?ドイツじゃないんですか?」
時代が時代なら2重国籍になれる可能性だってあったんだろうけれど、わたしが生まれた当時は2重国籍は許されていなかった。うちの両親もわたしが生まれて早々ドイツ国籍を破棄してしまったので、「ドイツ人」だったことはいまだかつてありません。
しかし生まれがドイツなもので、ことあるごとに「2重国籍問題」が浮上する。今回も、
「え?Bielefeld?パスポートには書いてないじゃないですか」
と念入りに書類をチェックしはじめた。日本のパスポートには本籍は書いてあるけど出生地は書いていない。せいぜい、世間話程度。
「そんなにおっしゃるなら免許証をお見せしましょうか?」
ときたところで、じゃあいいよという話になった。
別に身分偽らないよー、もー。
そんなこんなでさくっと手続き終了。
晴れて「伯林市民」となりました。
明日はベルリン・フンボルト大学(HU)で入学手続きだ!
まさか5日後に再びベルリンを訪れることになろうとは……!
前回、30分弱の慌ただしい面会を果たした友人に「土曜日にまた行くことになったよはははは」と話したらさすがに仰天された。早すぎる"I'll be back"!
今回もメインは家探し。件の友人が大学の掲示板で物件を見つけてくれて、すぐさま連絡先に電話、とんとん拍子でアポイント……という流れに。本来、電話で交渉事は苦手なのだけれど、相手がものすごくフレンドリーかつフレキシブルに対応してくれたので、スムーズに話がまとまった。条件はほとんど理想に近かったので、あとは実際に部屋と家周辺と交通アクセスを確認するのみ。
ちょうどベルリンに研究滞在している日本の大学の友達Mちゃんとも会えることに!朝9時過ぎにベルリン中央駅で待ち合わせ、という無茶な要求にもかかわらず応じてくれてありがとう。
Mちゃんのオススメ!ということで、Kreuzberg地区に連れて行ってもらいました。ついて早々、ベルリン名物・カリーヴルスト(カレーソーセージ)を食べることに!(あとから聞いたところによると、どうもすっごく有名なお店だったらしい。やった!)
ソーセージは「腸つき」「腸なし」を選ぶことができました。Mちゃんが「腸つき」をオーダーしたので、わたしは「腸なし」バージョンを食べることに。腸なしソーセージって食べたことないなあ、そういえば。初体験。
皮をむいたソーセージの表面を、油で揚げる。こ、これはもしや、以前ロストックで見かけた「創業40年」(だったかしら)のソーセージ屋さんの出していたソーセージと同じ!?
いろいろびっくりしたけれど、とてもおいしゅうございました。鈍いわたしの舌では「ベルリン風カリーヴルスト」の味つけの違いはやはりよくわからないのだけれど、「腸なし」は新鮮でした。こういう食べかたもするのだね。
そのままクロイツベルクをお散歩して、すてきなカフェを紹介してもらう。いやー、ベルリンはカフェがたくさんあっていいね。ケーキとお茶の天国だね。(危険危険!)
キャロットとナッツのキャラメルケーキを食す。フルーツフレイバーの煎茶は香りがよくておいしかった。甘すぎず後味もすっきり!
更にクロイツベルク周辺の市場を少し散策してから、解散。
すぐさま次の約束、おうちの下見へと向かう。今日も絶賛、ノンストップ活動中!
物件の最寄り駅で、この物件の掲示を見つけてくれた友人と合流。下見へれっつ・ごー!
駅前で地図を見ながらああでもないこうでもないと(主にわたしが)騒いでいたら、通りすがりのおじさんが道を教えてくれた。さんきゅう。しかし我々の目的地はホテルじゃなくて民家なのです……観光客に間違えられたよ!まあ日本人がふたりして地図見てわやわやしていたら無理ないか。しかも、そのうち一人(わたし)はでっかいリュックを背負っているし。
肝心のおうちは、なかなか住みやすそうなおうちでした。電話でフレンドリーだった家主さんは、対面でもとってもフレンドリーでした。
家~駅周辺の雰囲気も交通アクセスも良好、入居・退去時期もフレキシブルに対応と、インターネットを自分で引く必要がある以外はすべての希望を満たしている状態なので、OKが出るならここに住みたい!
月曜日に電話をします。らぶこーる。
下見のあとは完全にフリーだったので、友人とぶらぶらすることに。
お世話になっている先輩に「Hackescher Marktに無印良品があるよ」と教えてもらったので、ふらっと無印良品を冷やかしてきた。なんだか、すごーく不思議な気持ちになった。いや、だって、商品の配置とか音楽とか、においまで完全に無印良品の空間なんだもん!
先輩に勧められた旅行用洗濯板(手洗い洗濯用)を探したのだけれど、さすがにそれはなかった。残念!それがあれば、「洗濯機さまご臨終」の事態もらくらく乗り越えられると思ったのに。
プレンツラウアー・ベルク地区へと移動して、前回できなかった「カフェでまったり」を決行。レモンタルトを食べた。おいしかったー。(ちなみにここまでの食事:ラスク、菓子パン×2、カリーヴルスト、ケーキ、ケーキ。我ながらヒドイ!)
なかなかスタイリッシュでおされなカフェだったのだけれど、なぜかお客さんのほとんどがノートパソコンとにらめっこ。無線LANゾーン?おひとりさまでもまったりできそうな空間だ。
どういう経緯でそういう話になったのか思い出せないんだけれど、たまたま友人とW杯のドイツ対イギリス戦の話になった。イギリスのゴールが認められなかったとき、「コメンテーターが『ラッキーでした』って言っていたんだけど、そういう問題じゃないよね!」と騒いでいたら、お店のひとに「なにがラッキーだったの?」と問い返されてしまった。……まあ、途中までわからん言語(=日本語)を話していたやつが、突如部分的にドイツ語を挟みはじめたら、そりゃあ気になるよね。
事情を説明すると、「でも、ドイツはいいプレーをしていたよ」といたずらっぽい応えが。うん、あのゴールが入ってもドイツは勝ったと思うけれど、でも、もーう少しゲームの展開が変わったと思うのですよ、お兄さん!
続いて「君たちどこから来たの?」と訊かれて、「ロストック」「ベルリン在住」と答える我ら。空気読んでない?恐らく期待されている返答は「日本」とか「東京」なんだろうけれど、直接そこから来たんじゃないしなあ。「そもそも日本から来ているんだけどね……」と前置きしないと、「んん?」って顔をされてしまう。Sorry!
プレンツラウアー・ベルクをそのままたるたるお散歩。
「東側」にある教会らしく、まだまだ戦災復興が完了していない。壁の近くにあって爆破されなかっただけマシといえるのか……?(ロストックのJakobi教会をはじめ、社会主義統一党の方針によって「復興」ではなく「爆破処理」されてあとかたもなくなった教会は数多い)
最近は北ドイツの教会ばかりめぐっているせいか、異なる土地にある教会を見ると、建築様式の違いに真っ先に目が行く。れんが造りのゴシック様式では、ない。
そして、以前、作家のWladimir Kaminarが言及していたMauer Parkをはじめて見た。とっても広い公園。……ベルリン在住のみなさまはどう感じているのかわからないけれど、わたしは、このネーミングは「ない」と思う。壁公園!そりゃあ壁に囲まれているけれど!
(乱暴な食事という意味で)暴食のあとの「まとも」な食事!胃に染みいるやさしいやさしい味のうどんでした。実家から送ってもらったうどんをたまに食べたりするけれど、太麺を食べるのはひさしぶり!おつゆがおいしかった。しいたけしいたけ。
玄米茶と一緒に。
はあ。しあわせ。
今日も充実した一日でした。
朝5時起き、6時の電車に乗って日付が変わるぎりぎりに帰宅。
最寄駅に行ったら、意外と多くの人がホームで待っていた。ヴァルネミュンデ発の電車にも、乗客の姿がちらほら……。(ベルリン行きはがらがらだったけれど)ああそうか、普段自分が「遅起き」なだけで、世界はちゃんと朝早くから動いているんだね。(すごく当たり前の話)
日帰りの「遠足」はしょっちゅう行っているけれど、日帰りでベルリンはたった一日のことでも、2、3日は滞在したような気分になる。ほぼ20時間、フル稼働していたせいかもしれないけれど。
それだけ、こゆーい一日でした。
午前中は「ベルリン大散策」。気になる地区は片っぱしから歩いてイメージをつかむのが目的。これまで「観光」という目的でしか歩いたことのない街を、「生活」の視点から見てみようと。
ロストックからベルリンに出てくるのは今回で2度目。
前回も、そして今回も思ったのだけれど、「メクレンブルクモード」でベルリンを目の当たりにすると、その規模の大きさにただただ圧倒される。
普段、徒歩圏内で生活をしていて、限られたトラムにしか乗らない人間にとっては、Sバーンと地下鉄が何本も何本も交錯して走っている街は実に大都会!電車とか5分に一本に来るなんてありえない!(うちの最寄り駅は多くても12分に一本しかトラム停車しない)<こんなこと言っていると東京に戻れないような気がする
山手線みたいな(内回り、外回りの2通りある)Sバーンに遭遇したときは、どっち方向の電車に乗ったらいいかわからず、あわあわしているうちに一本乗り過ごした。矢印で「時計回り」「逆時計回り」って書かれてもわからんよ!でも、冷静に考えると、そっちのほうが「外回り」「内回り」と書かれるよりわかりやすいかも?
午前中はPrenzlauer BergとCharlottenburg地区に行ってきた。
旧東ドイツのPrenzlauer Bergは古くて大きいな建物が多い。カフェも多く、学生に人気の地区らしい。たとえるならば「下北沢」的な雰囲気でしょうか。
対するCharlottenburgは西側の地区。地下鉄から外に出た瞬間、思わず、「あ、これは知っている」「なつかしい」と思った。旧東ドイツの地区はもちろん、北ドイツともどこか異なる雰囲気。デュッセルドルフやフランクフルトの住宅街でよく見た景色。きっとこれは西ドイツに共通しているものなんだろうなあ。
「治安面でいったらベルリン南西部がオススメ」と、何人もの人に言われましたが、これは納得。よく言えば「住みやすそう」、悪く言えば「無難」?HUとFU、両方に行きたい場合は、Charlottenburgが理想的なんだけれどなあ。
正午に、ベルリンに「しゅっちょう」中の先輩と再会!
最後に会ったのは3月末の研究会のときだったので、実に4カ月ぶり。……よくよく考えてみると、そんなに「ものすごくひさしぶり!」ってこともないような……。
一緒にお昼を食べてから、ちょっと趣味のお散歩におつきあいいただきました。
目的地はFriedenau地区。そう、ヨーンゾンのアトリエがここにあるのです!
以前友人に写真を送ってもらったので、間接的に見たことはあるのだけれど、今日たまたま電車の中で読んでいた本に住所が載っていたので、自分の目で確かめてやろうではないか!と思ったのでした。
ヨーンゾンのアトリエは、扉の上にアクリルのプレートがかかっているので、すぐにわかりました。「おおお、これは写真に収めなければ!」と騒いでいたら、ちょうど住民が帰ってきて、怪訝そうな目で見られました。ヨーンゾンで騒ぐ外国人はさすがにめずらしいか。
すぐ近くの通りにヨーンゾンが住んでいた家もあったのですが、こちらは火事で全焼してしまったため、今はありません。でもこの通りのどこかに、昔ギュンター・グラスが住んでいた家はあるはず。
グラスって今もベルリン在住なのかな?という話をしたのですが、現在はリューベック近郊に住んでいるとのこと。……そういえばリューベックにギュンター・グラス・ハウスあったなあ、「なんでリューベック?」ってうっかり(!)素通りしてしまったけれど。いや、あのときはマン・ハウスでもうお腹いっぱいだった。
次の約束があったので、先輩とはZoo駅で解散。
こんな観光スポットでもなんでもない道楽におつきあいいただき、本当にありがとうございます!次に会うのは恐らく帰国後、それまでにもっともっと「しゅぎょう」を積まなければ。
このあとベルリンっ子の友人とお茶をする予定が、「予想外の事態」により一旦白紙になるというハプニングが!あとでまた改めて連絡を取ることに。
学科の先輩がイチオシしているNeukölln地区に行ってみました。トルコ系をはじめ、多くの移民が住んでいることで有名な地区なのですが、本当に本当に、国際色が豊かなところでした。ドイツ語以外のことばもたくさん聞こえてくる!トルコ系のお店もたくさんある!
ちょっとうろうろしてみました。図らずも地図を読み間違えて反対方向に進んでしまったため(この辺がわたしクオリティ)、あまり時間は取れませんでしたが、ほんの少しだけでも垣間見えてよかった。ベルリンは、本当にいろんな表情を持っている街だなあ。
そして本日のメインイベント・おうちの下見。最初に行ったPrenzlauer Berg地区です。
家の周辺はなかなかすてきなところでしたが、残念ながら、肝心のおうちが心から「住みたい!」と思えるところではなかった。細かい違和感を指し引いたとしても、敷地内で建物修理の大工事は、ない!見た感じ長期化しそうだし、これでは日中、おうちで作業できないよー。
Prenzlauer Bergにはあこがれるし、おうち探しの早期決着も目指したいけれど、ここで安易に妥協してはイカン気がする。後ろ髪、引かれるけれど。
ベルリン版山手線(仮)で半周、地下鉄に乗り換えてDahlemへ。駅を出てから気づいたのだけれど、ここの駅舎、茅葺屋根だよ!まさかバルト海域以外のところでお目にかかることになるとは……。
友人と2、30分話「せけんばなし」をして、早々と解散。たぶん近いうちに「あいる・びー・ばっく」だよ、そのときまたよろしく!
ロストックに出発するときも、クリスタ・ヴォルフの朗読を聴きに来たときも、そして今回も、毎度のように国会議事堂を中央駅の中から「見ているだけ」。相変わらず、まだ中には入っていない。もうあれは住んでからでいいや逃げるわけでもなし。
さて、どこで食べようか、と悩んだところで、ベルリン名物(?)カレーソーセージのインビスを食べることに。「ベルリンのカレーソーセージは、ルール地方とは違うらしい」という話で先日盛り上がったことを思い出した。茹でソーセージはベルリン流、とのことらしいのですが、今回食べたのは、ノルトライン・ヴェストファーレン州でもおなじみの焼きソーセージバージョン。わたしの(割と味に対して鈍感な)舌では違いがわからなかった。残念。これも修行かしら。
さあて、あとは帰りの電車に乗るだけ……と、早くも「おわった」モードになりかけたけれど、ご存じのように、「帰るまでが遠足」です。最大のイベントはまだ残っていました。
なんと、なんと、
ホームでゼミの仲間とばったり遭遇。
ふたりして「なんでここに?」とあっけに取られておりました。
ロストックの街中で会ったこともないのに、なぜにベルリンで!
仲間は彼女さんの妹の誕生日パーティーに出席するために、週末はパッサウに滞在していたらしい。なんと、行きも帰りも電車!ベルリンに直接用があったわけではなく、単に乗り換える必要があっただけで、ホームで待っていたところわたしが来た……ということだったらしい。
彼はわたしがこちらでお世話になっている先生の直弟子で、昨年、先生と一緒にエアランゲンからロストックに移ってきたそうです。研究している分野が割と近く、一度じっくり話してみたいなあ……とは思っていたものの、きっかけがつかめず、そのままになっていました。まさかこんなところでおはなしできる機会を得られるとは。
ロストックまでの3時間強、ひたすらふたりで話倒していました。
研究のはなしもたくさんできたし、研究以外の雑談もすごく楽しかった。
また、来年以降のヨーンゾン研究プロジェクトのはなしも聞かせてもらって、ああ、自分は案外「単なるお客さん」なだけでもなかったのかもしれない、としみじみ思った。
わたしはあと2カ月弱でこの街を去るけれど、きっと縁は続いていく、と今なら思える。だって、偶然が偶然を呼んでベルリンでばったり会えるくらいなんだもの!そのためには受け身でいてばかりもいられない。
家は見つからなかったけれど、その代わり、ほかのものをたくさん見つけた一日。
ゼミに出てから電車に飛び乗って、2時間半。
メクレンブルクから、ベルリンへ。旧東ドイツから、西ドイツへ。
つい2か月前、ここからロストックへ出発した。
その「はじまりの場所」に、今、また立っている。なんだか不思議な感じ。
駅ナカあるよ!いろんな言語が聞こえるよ!観光客たくさんだよ!……と、最初に訪れたときには特に気にしなかった事柄に、逐一反応してしまう。こんな駅、ドイツでほかに見たことない。そういえば、7年前に観光で来たときは、まだ完成していなかったんだよなあ。
ベルリン在住の友人と中央駅で待ち合わせをして、まず、朗読会の会場である芸術アカデミーに予約したチケットを取りに行く。
路線図を見て、「(地下鉄の駅はここで、この駅に一番近いSバーンの駅はここだから、)この駅で降りればいいと思う!」とカンで主張したら、見事に外れて初っ端から友人に迷惑をかけるはめになる。あー、路線図上、地下鉄と普通電車(Sバーン)の駅が近そうに見えても、実際そうとは限らないってことね。(冷静に考えてみれば、東京のJR・メトロ・都営の路線だって似たようなものじゃないか!ばか自分!)いかん、感覚がロストック基準になってる……!
芸術アカデミーで無事チケットを受け取る。電話で名前を伝えただけだったから、本当に確保してもらえているのか心配だったけれど、まったく問題なかった。
そのまま、併設されている書店のブースをのぞいてみる。なんと、来週発売のヴォルフの新刊が並んでいるではないですか!「この本は購入可能ですか?」と思わず確認してしまった。もちろん、ということだったので、その場で即購入。ふう、先走ってアマゾンで予約しなくてよかった!
その後は、ホテルに行ってチェック・イン。ベルリン・エキスパートがいてくれたおかげで、スムーズに到着。うーん、ベルリン歴6、7年の彼には到底及ばないだろうけれど、半年ほど暮らしたらちょっとは詳しくなれるんだろうか?どうもロストック市内みたいにさくっと移動できるような気がしないんだよねえ。(まあ、東京に7、8年住んでいたって隅々まで詳しくなるわけじゃないしね……)
友人とシュパーゲル(白アスパラ)ディナーをして、いざ、朗読会へ。
かなりぎりぎりの到着になってしまって、もはやステージ後ろの席しか残っておらず。むむ。でも、クリスタ・ヴォルフ本人がステージに登場するところは見えたし、スクリーンも設置されていたので、きちんと彼女の姿を拝見することはできました。杖をついて歩く彼女を見て、今更ながら彼女が高齢であることを実感した。そうだ。81歳になったんだものね。
ヴォルフがこちらに背中を向けて話しているのは当然の結果だけれど(開始前に後ろを振り返って謝罪をしていた。気配り!)、進行を務める作家、インゴ・シュルツェがなぜか始終ほぼ正面から見えていて、なんだか奇妙な感じ。
おなかに深く響く、よく通る声で新作を朗読するヴォルフ。張りのある声。
声や、トークの調子を聞いただけでは、とても80を超えたおばあちゃんとは思えないパワフルさ。さすがです。貫禄ある。
新作はヴォルフの自伝的小説。彼女が1993年から94年にかけて、ロサンゼルスで生活していたころのはなし。ちょうどヴォルフのシュタージへの関与が明らかになった直後のことで、「半ば逃げるようにドイツを去った」とのこと。
そんな重苦しいテーマを扱った本なものだから、えっ、そこで!? と思うようなところで会場がわっと湧いたりしたときは、ちょっとびっくりした。たしかにくすっとなるエピソードもあったけれど、ほとんど笑いを共有できなかったな……うーん、わかるひとはわかるの?
ただ、今回朗読された断片を聞いた限りでは、重苦しいだけのはなしではなさそうなので、全編通して読むのを楽しみにしたいと思います。
朗読会終了後、なんとサイン会が開かれることに!事前に購入した新刊を持ってきたので、すかさず列に並んでヴォルフ待ち。
なにか話したらいいんだろうか、あああ、でも、なにを話したらいいんだろう、わああ!と内心ひとりで騒いでいる間に順番が回ってきてしまい、結局本人を前にして「ありがとうございました」のひとことしか言えず。もう、このへたれめ!
でも、にこっと笑いかけてくれたよ。ああ、わたしこの人の作品で論文を書いたんだな……と思うと、とても感慨深い。
いやあ、ベルリン悔いなし。
一日目だけでそう思った。
当初は朝一番で帰るつもりだったので、まったく予定が立っていない。せっかくだから、自分に関係がありそうなところに行くか!ということで、2006年に開館されたばかりのDDR(旧東ドイツ)博物館と、シュタージ博物館に行ってきました。
DDR博物館は、「旧東ドイツの生活を体験してみよう!」という体感型の博物館。ベルリン大聖堂の向かい側にあります。
トラバントに乗ってみたり(運転シミュレーションもできるらしい)、FDJ(自由ドイツ青年団)の制服を見たり、西ドイツ・東ドイツのジーンズを見比べたり。旧東ドイツの生活をあちらこちらで垣間見れる作りになっています。
旧東ドイツで放映されていたテレビ番組を視聴することもできて、なんとロストックの都市計画について紹介するドキュメンタリもありました。これはタイムリー!景色や地名がわかると、俄然おもしろくなる。
しかし、しかし、
旧東ドイツではヌーディズム文化が盛んだったんだよ!というはなしは、ちょっと意外でびっくりした。むしろ国の性質的にアウトなんじゃないの?と思いきや、「自由と平等の象徴」として、ヌーディズムを認めさせようとする運動が徐々に高まっていったのだそうです。なるほど。
開館直後に行ったにもかかわらず、遠足(あるいは修学旅行)のグループとはち合わせて、館内を回るのが少し大変だった。ガイドが、なかなか動かない。……すごく丁寧に説明しているのはわかるんだけれど、いつまで経っても目的のパネルが見られないのはちょっとツライ。
途中でアンペルマン・ショップを冷やかしたり、赤の市庁舎を一目見たり。『舞姫』の舞台になったというマリエン教会は、7年前に訪れたときには工事中だったけれど、外観の工事は完了していました!なので、記念の写真をぱちり。
ふふふ、この7年の間にちゃんと読みましたよ、『舞姫』。今回こそは「この教会でエリスが……」と言える!(当然ながら威張れたことではない)
手元にあるドイツ語のガイドブックによると、シュタージ博物館は「カール・マルクス通りをひたすらまっすぐ歩いて」いけば着くらしい。大層アバウトな説明だけれど、だいじょうぶなのか。
う、あ、こ、この本屋さん!映画『善き人のためのソナタ』で、ヴィースラーがドライマンの本を買った本屋さんじゃない!? えええ、この通りにあったの?これは嬉しい誤算だ……。
ちょっとのぞいて見ようかな、と思ったけれど、一般の書店というよりは出版社みたいな感じでやや入りづらかったので、外から見るだけ。映画の中の本屋さんとは内装も違うし、セット用に変えたのか、それともあとから変わったのか……。
その後も歩く、歩く。やっぱりいつまで経っても、一向にたどり着く気配がない。
3駅歩いてようやく「なにかがおかしい」と思いはじめ、図書館で借りてきた別のガイドブックを開く。詳細な地図でチェックすると、シュタージ博物館はたしかにこの通りの延長にはあるものの、更に3駅先にあった。
………
最初のガイドブックの説明通りに歩いていたら、一時間、ひたすら歩くことになりかねなかった……。ああもう、なんなの、あの不親切設計!? せめて最寄り駅くらいカッコつきで書いたっていいじゃないか、と思う。(ちゃんと事前に確認しなかった自分にも落ち度はあるんだけどさあ)
ここでも建物群の案内がわかりづらくて散々迷った。ベルリンを散策するときは時間に余裕を持っていかないとかなりマズイ、そんな気がする。
ロストックもそうだったんだけれど、シュタージ関係の建物は、もう外観からして負のオーラを放っているような気がする。パンフレットに載っている写真は曇天で、狙っているんじゃないかと思うくらいに(いや、恐らく狙っているんだと思うけれど)おどろおどろしい。
ほんとにここ?と一瞬入るのをためらったけれど、入口に小さく「シュタージ博物館」と書いてあったので、思い切って入ってみる。
「ここのパネルは全部ドイツ語だけどだいじょうぶ?あなたドイツ語できるわね?」と、受付のおばちゃんに念を押された。ふむ、「観光客向け」の博物館ではないのね。どちらかというと、資料館に近いんだろうな。
ここでも学生の団体とばったり。この博物館はいくつもの小部屋に分かれているので、ガイドが学生と一緒に一室に入ってしまうと、それだけで出入りが非常に困難になる。いくつか順番を無視して、先回りする必要があった。パネルを読むのに時間がかかる分、DDR博物館以上にツライ。
興味深かったのは、盗聴器・盗撮器のコーナー。
石のイミテーションに盗聴器を仕込んで道端に置いた、というのは序の口。木の幹に仕込んだり、トラックにこっそり隠したり、電柱に埋め込んだりと、もう、あの手この手です。じょうろの中とか、聖書のページの間(!)とか、そのクリエイティヴな発想に脱帽。そりゃあ、一般市民も気がつかないはずだ。
シュタージのオフィスも公開されていて、こちらは『善き人のためのソナタ』でも使われたのだそう。どこかで見たことあるなあとは思っていたけれど、気がついたのはあとになってから。いやあ、びっくりした。
パネルを読んで、当時の資料のコピーを拝見して、写真も見て、あっという間に時間がすぎた。情報量が膨大すぎて、ほんの1時間ちょっとじゃ全然足りない。うーん、ブッデンブローク・ハウスみたいにパネル情報の収まったパンフレットがあればいいのに。贅沢?
ベルリン市内を移動するという感覚がまったくわからず、友人との待ち合わせに30分以上遅刻した。感覚がロストック基準に(以下略)
ほんとうにごめんなさい。
無事友人と合流して、ベルリン自由大学のキャンパスを案内してもらいました。図書館がすごい!ヨーンゾン関係の本もたくさん入っていたし、絶版になっている本もあった(それも2冊も!)。さすがベルリン。
古本屋のコーナーでは、ヨーンゾン愛読者というおじさんを紹介してもらった。
本人いわく、ゲルマニストではない……とのことだけれど、ものすごくヨーンゾンを読み込んでいて、お話していてすごく楽しかった。いつぼろが出やしないかとヒヤヒヤもしたけれど、ヨーンゾンの講義やゼミに出たり、メクレンブルク内をぐるぐるした甲斐もあって、どうにかこうにか渡り合えた気がする!ドイツに来る前の自分だったら、確実に無理だった。
まだまだ足りないけれど、ちょっとずつ、蓄積されているんだろうか。
往復5時間、滞在25時間。
とてもとても濃厚な「遠足」でした。
行くか行くまいか迷ったけれど、来てよかった。本当によかった。
かれんだー
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りんく
かてごり
最新とらっくばっく
ぷろふぃーる
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。