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ゆうゆう自適。

つらつら、まったり。つれづれ(不定期)雑記帳。海風薫るロストックから伯林、そして再び東京へ。再びドイツへ「帰る」日を夢見て、今日も今日とてしゅぎょう中。
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地震が発生してから一週間。

「自分はどこに帰属しているのだろう」

そう、考えることが多くなりました。

日本は遠い。あまりに遠い。現実が見えない。
ドイツでは、報道のありかたやドイツ人の反応に違和感を覚えている。こちらもやはり現実が見えない。

日本との物理的な距離と同じくらい、ドイツとの精神的な距離があるような気さえする。


故郷とはなにか。自分はなにものなのか。
騒動のさなかに、ふと、考える。漠然と。

ときどき、「日本人であることを誇りに思う」ということばを聞きます。
まず、これがぴんと来ない。

亡くなった方々の冥福を祈るとともに、事態が一日も早く終息に向かうことを願ってやみません。

原発に残って作業している方々、
つらい境遇の中、懸命に生きる被災者たち、

彼らに、勇気づけられています。希望はまだ残されているのだと。
だからといって、自分が「日本人であることを誇りに思う」という発想にまでは至らない。

毎日毎日、たくさんのドイツ人が、日本のことを心配してくれています。
それは、とてもありがたいこと。

だからといって、「日本は愛されている国」としみじみすることもない。
そもそも、この地震を通じてどうして「日本人でよかった」になるのかがわからない。


それはおまえがドイツで育ったからだよ、半ばドイツ人だからだよと思うひともいるかもしれません。
いいえ。わたしはドイツ人ではない。どんなにがんばったって、わたしはドイツ人にはなれない。

たぶん、日本人にもなれない。
「ひとつの国に帰属している」という意識が、そもそも欠落している。


それは不幸なのか。
そうも思わない。

だからこそ、見えてくるものだってある。


幼いころからいろんな場所を転々としてきたけれど、その都度「住めば都」と思ってその場所をすきになった。そしてそこ去る間際に、「故郷」と認めた。その繰り返し。

たくさんの場所で暮らした。たくさんの場所を、愛した。
住んだことのある街は、すべて「故郷」になった。

ロストックも。ベルリンも。

今いる場所が、わたしの「ふるさと」になる。
受け入れさえすれば、どんなところだってすきになれる。

帰る場所。それは、帰ることのできる場所。


日本も、ドイツも、楽園なんかじゃない。
いいところもあれば、悪いところもある。
今回、この地震を通してそれがはっきりと見えた。

それでも、日本もドイツもすきだ。
それでいい。

仮に今後、違う場所に移り住んだとしても、その場所を思いっきり愛せばいい。
いいところも、悪いところも、ぜんぶひっくるめて。
だって、そのほうが楽しいでしょう?


わたしは、わたし。
それ以外のなにものでもない。
国籍の上では日本人だけれど、それだけだ。

そして今のわたしには、日本でやるべきことがある。だから「帰る」。
やるべきことを終えたら、また、ドイツに「帰って」くる。

そう、決めていたんだ。

くよくよしている暇なんて、ないでしょう?

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地震発生から3日、少し落ち着いてきたので、つらつらと思ったことを書きます。


日本で大きな大きな地震が発生したと知ったのは、ベルリンの地下鉄の中。
車輌内に設置されたテレビモニタが、下車直前に「日本」「マグニチュード8強」の文字を映したような気がした。

今、日本からドイツ語講習セミナーを受けに来ている学生さんのチューターとしてベルリンをあちこち動き回っているのだけれど、地震のことは彼ら経由(海外対応の携帯電話を持参してきた子が何人かいて、いち早くニュースをキャッチしていた)で改めて知った。

学生さんたち、および引率の先生が冷静だったおかげか、その場で取り乱すようなことはなかった。たぶん実感がなかったんだと思う。


大変だったのはそのあとで、大学のパソコンでニュースを見たとき、なにが起こっているのか理解できずにパニックになりかけた。家族の携帯電話のメールアドレスをそらで覚えていなかったので、mixiから妹に連絡。あと、パソコン宛てに簡単なメール。
思いのほかすぐに返信があって、ひとまずほっとした。地震発生当時、母は伯母と外を歩いていたらしいのだけれど、けがはなし。電車が止まって帰れなくなったので、伯母の家(=わたしの家)に泊まることにしたとのこと。そして家の鍵を持っていない父は、マクドナルドで夜を明かしたらしい。妹はスキー合宿で長野。家族が無事とわかって、まずは一安心。

翌朝、伯母と富山の祖母に電話をかけた。ふたりとも至って普通で、何事もなかったかのよう。


ほっとしたところで、じわじわと現実が押し寄せてくる。

地震、津波、そして原発での爆発事故――ドイツのニュースを見ても、日本のニュースを見ても、なにがどうなっているのか、これからどうなるのか、まったくもってなにもわからない。


これほど、日本を遠くに感じたことは、未だかつてない。


今、自分になにができるんだろう?
それはむやみに悲観的になることではなく、信じること。祈ること。
自分にできること、やるべきことをすること。

ニュースが錯綜するなか、迷わず正しい情報をつかむことは難しいけれど、頭を使って見極めなければ。

あとは、しない善よりする偽善、ということで、募金をしてみた。
今はネットで簡単に募金ができる世の中になっているんだなあ……。

日本赤十字はいつまで経ってもホームページが表示されなかったので、日本で口座を持っている三菱東京UFJ銀行経由(窓口はNGOジャパン・プラットフォーム)で。


遠い日本。

でも、自分が今、日本から遠く離れた場所にいることにも意味があるはず。

うじうじしたって、なにもはじまらない。
被災された皆さまの無事を祈るとともに、これ以上事態が悪化しないことを切に願いながら、目の前の「日常」を生きる。一歩でも前に進むためにも。


明日からは、「通常営業」。

国会議事堂をはじめてこの目で見てから、もうすぐ8年が経とうとしています。
誰でも気軽に入れる、ガラスのドームを冠した統一ドイツの国会議事堂。長蛇の列ができていたので、泣く泣くあきらめたのでした。

ロストック~ベルリンで生活をしたこの1年、中央駅を利用あるいは通過をすることが非常に多かったため、特にめずらしい風景ではなくなりましたが、「いつかは中に入らないとなあ」という気持ちは漠然とありました。

昨年末、かつて一緒に国会議事堂の前に経った大学の同期が遊びに来ました。8年越しに議事堂の中に入ろうか!というはなしになったのですが、その直前にあったテロ疑惑の影響でセキュリティがより厳重になり、事前予約なしでの入館が無期限停止になりました。現在でも、事前予約がなければ議事堂に入ることはできません。その予約も、3~4週間前にすることが望ましいと……。


しかし今回、「たのしごと」の一環で中に入る機会を得ました!
日本人の学生さんの付き添いのようなかたちで、ドイツ語のガイド案内をところどころ日本語に訳すというおしごと。

入館前になにかしらの手続きをする必要は特にありませんでしたが、

議事堂横に建てられたコンテナに入ってパスポートチェック&荷物チェック、
議事堂に入ってすぐに荷物チェック(X線)およびボディチェック、
正面玄関の写真撮影禁止、

と、うわさにたがわぬ厳戒態勢に入っていました。
(そのため、今回正面から撮った写真がありません)

それでも、一旦建物内に入ってしまえば、こっちのもの。入るまでが勝負です。


中に入ったら、別の意味での勝負が待ち構えていた。
「ところどころ通訳」は、なんとまさかの「逐次通訳」だった!

ツアーが行われる1時間半、議事堂にまつわるガイド案内をすべて日本に訳さなければならない。

予期せぬ事態にびっくりはしたものの、比較的落ち着いて取り組めたような……気がする。
日本語の語彙と記憶力がすこぶる残念なことになっているので、学生さんに全部伝わったのかという不安は残るけれど、引率の先生もその場に立ち会ってサポートしてくださったので、たぶんだいじょうぶ。うん。そう思いたい。

それにしても、

「なるほどなあ」と
「あ、これ覚えなくちゃ」と
「これ、日本語でなんて言うんだっけ?」が

ごっちゃになっている瞬間はとことんカオスです。

ゆっくり写真を撮る暇もなかったので、オーディオガイドにバトンタッチするガラスのドームまではほとんど記録がありません。うう。あとで学生さんから頂戴するかな……。


なけなしの内部写真、ご紹介。

DSCF5095.JPG

議事堂内にある小さな礼拝堂。
特定の宗教に限らず、すべての宗派のひとが祈りを捧げられるようにデザインされた部屋。現行の政権はキリスト教系の党が握っているので、「十字架を立てろ」という要求があったそうですが、この部屋をデザインしたアーティストが反発したため、妥協案としてシンプルな木製の十字架を祭壇に「横たえて」あります。

会議が行われている期間は、ここでミニ・ミサが開かれるそうです。
 

DSCF5097.JPG DSCF5096.JPG
 

国会議事堂の壁は、「3つの時代」から成ります。

1884年~1894年に建てられたときの外壁。はじまりの石。
1945年、赤軍の兵士によるラクガキで覆われた壁。瓦礫の記憶。
そして1995年~1999年に一新された際のコンクリート。

3つの時代が、建物の中で共存している。

赤軍のラクガキ、クローズアップ。
上に「モスクワ~スモレンスク~ベルリン」というラクガキが。
大半は名前なんだそうです。

DSCF5101.JPG

国会議事堂のメイン・ホール。
椅子は、各政党ごとにブロックに分かれています。議会が新しく編成された場合、椅子を取り外して新しいブロックを作り直すのだとか。なるほど納得。

DSCF5103.JPG

ガラスのドームへ出る直前の、空中回廊。
この回想に、各政党に割り当てられた部屋があります。

そしてガラスのドームへ。

DSCF5108.JPG

中央に立つ逆三角錐(?)は、800枚の鏡から成っています。
ここで反射された光は、下のホールに降り注ぐ設計になっているらしい。

トータルデザインのアート。

螺旋階段、ぐるぐる。

DSCF5111.JPG

てっぺん、雨の日も、風の日も、雪の日も、開きっぱなしのようです。
というか天井みたいなものは存在していない。

ここから、空気が下のホールに流れるのだとか。
ちなみに、雨は降らないように設計されています。

DSCF5113.JPG

上からホールを見降ろして。
ここから石を投げる輩がいそうだなとふと思ったのですが、たぶん、石を投げつけたくらいでは壊れない、強化ガラスかなにかを使っていることでしょう。


逐次通訳だけで疲労困憊しましたが、大変勉強になりました。
議会のしくみというよりは、「アートとしての国会議事堂」の歴史がおもしろかったなあ。

日本の大学関係の「たのしごと」がスタート。

全日程勤務ではないけれど、最初は早朝から夕方まで(+個人的な予定)スケジュールが詰まっているので、しばらく雑記は後回しにします。

うーん、デッサウでバウハウスめぐりをしたエントリとか、Siegessäule(戦勝記念塔)周辺のお散歩とか、クロイツベルク~フリードリヒスハインエリアの散策とか、ヴェルディのオペラ「オテロ」のエントリとか、いろいろとアップしたいのだけれど。

「しゅくだい」がどんどこたまっていくけれど、あとで細々と書いていきます。
 

今日も今日とてベルリーナ・アンサンブル。
ひと月前から楽しみにしていた「Einfach kompliziert」(単純に難解、でいいのかしら)!

ベルンハルトお気に入りの役者・Gerd Voss主演、ベルンハルトと親交のあったBEの総監督Claus Peymann演出の本作はものすごく人気で、ネットの前売りが瞬く間に完売。当日券を(ウェイテイングリストに名前を載せた上で)獲得するしかないということで、早めに行って並んだ。

「Einfach kompliziert」のセットは「粗末な部屋」とシンプルでありながら、冒頭にある説明(窓やドアの配置など)に忠実に再現されていて、びっくりした。こういうことって滅多にないけれど、イメージ通りの舞台が用意してあった。

あらすじも非常にシンプル。
とある粗末なアパートに引きこもった老俳優が、狂気と叡智の間を行き来する。
人とのかかわりを経った彼が唯一心を許すのは、毎週火曜と金曜に牛乳を持ってくる少女・カタリーナのみ……。

かつて、シェイクスピアの「リチャードIII世」を演じた老俳優は、造りものの王冠を被る。
栄光を極め、のちに高みから転落するイングランド王リチャードIII世の象徴。

ひとを嫌いながらも、幼い少女の来訪を心待ちにする孤独な老人。

屈折したユーモアと、深い孤独。
短い劇だけれど、ベルンハルト流のエッセンスが凝縮されている。

Gerd Voss氏の演技は圧巻。
以前、静岡で観た「エリザベスII世」もすごかったけれど、「Einfach kompliziert」のほうがより気迫を感じられた。席が近かったからかもしれない。(学割でキャンセル待ちをすると、優先的にいい席が回ってくる)

いやあ素晴らしかった。
すごく楽しめたのだけれど、唯一わからなかったのは「笑いどころ」。
「イマヌエル・カント」に続いて2回目のベルンハルト作品だけれど、未だにドイツ人が笑うポイントを押さえられずにいる。

たとえば、

「わしはリチャードIII世をデュースブルクとボーフムで演じたんだよ」

という台詞で大爆笑。NRW州出身のものとしては「おお地元」と反応してしまうけれど、会場を包んでいる笑いはその類のものではない。
かもさん曰く、「ベルリンという場所だからこそ成立しえた笑いでは」とのこと。もしかしてそうかなあ……と思いはしたけれど、やはりそうなのかしら。ウィーンの観客は、この個所にどう反応するのだろう。上演する場所によって、「笑いのポイント」が変わってくるような気がする。

「笑いの文化」?

全テクスト掲載のパンフレット(もはやカタログ級の厚さ!)も購入したので、しっかり読んで、もうちょっと考えて、専門家に訊いてみるとしましょうか。


アフタートークショーでGerd Voss氏とClaus Peymann氏が舞台裏の秘話を紹介。これもまた興味深い話だったんだけれど(どの点において、とは言わなかったけれど、やはりウィーンとベルリンでは笑いどころも含めて観客の反応が違うらしい)、夜も更けてきたので早めに退出。

いい夜でした。

かれんだー

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YuN


ドイツ生まれ、ドイツ育ちの「なんとなく日本人」。根っからのラインラントっこ。

日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。

深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。

2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。

ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。


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