ゆうゆう自適。
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前日に荷物を箱詰めすることは叶わず、結局徹夜もせず、図らずも延長戦へ突入。
朝6時に起きて荷造り続行、9時にドイツ語学科の事務室に行って証明書を受ける。荷造りが終わる気配は一向にない。当然だけれど、海に行ってる場合じゃない。
ひたすら箱詰め作業。一番大きな箱にありったけ物を詰めたら、持ち運ぶのもやっとの重さになってしまった。箱が大きいせいで、腕を伸ばしてもしっかりと箱を持てない。1回、地面に落としました。新聞紙で包んでいるとはいえ、中に入っているガラス類は全滅だろうなと覚悟。
よたよたしながら隣の郵便サービスセンターに持っていった箱の重量は、20kg超。両腕の感覚がこの時点でなくなりました。汗だくになりながらも10-15kgの荷物を次々と運んで、ようやく荷造りは終了。箱は6つ。今日だけで2つ買い足した。
退去予定時刻は12時半、この時点で箱を郵便ステーションに運んですらいなかったので、お部屋チェックの時間を1時間遅らせてもらうことに。1時間で荷物を運び出すことはできたけれど、お部屋の退去前お掃除が全然できていない。床を掃いて、軽く拭こうと思っていたのになんてこった。
見かねたハウスマイスターが、退去前お掃除を手伝ってくれました。お部屋のチェックも兼ねているので、問題箇所はその場で解決。昨日、ぴっかぴかに磨いた窓やシャワー室は問題なくOK。やったあ。しかし破損したドアの修復に200ユーロ要求されてしょんぼり。なんかねえ、自分だけのせいでもないような気がするんだよねえ。ぶつぶつ。
小物を廊下に放り出して、お部屋チェック終了。鍵の受け渡しもしてしまったので、もう中には入れない。当初予定していた電車には乗れなかったけれど、2時間分の余裕ができたので、ゆったりと最後の準備をすることに。
あんまり荷物が多いので、急遽箱をもうひとつ買って、お掃除道具を全部詰め込む。5kg弱、決して軽くはない。トランク+IKEAのでっかい袋(枕+α入り)+洗濯物干し(結局撤去を命じられた)+リュックを持っていかなければならないんだし、これ以上余計な荷物は増やしたくない。
その後の移動は悪夢のようでした。
トランクの半分はふとんなので、ロストック到着時よりは軽くなっている。むしろ厄介なのはIKEAのでっかい袋のほうで、肩がけがうまくできずに大変しんどい。羽枕ってこんなに重いんだね……。
トラムに乗って中央駅、券売機を探して右往左往(今回乗る電車が発着するホームは、ロストック中央駅で唯一券売機のないハズレホーム)、お昼を食べる暇さえなかったから、急遽パンを購入。ロストックが始発だから、発車1時間前くらいから電車に乗れるのがうれしかった。
怒涛の勢いで、ロストックとお別れ。
別れの余韻に浸ることなく、そのままベルリンへ。
ちゃんとお別れができなかった。
ヴァルネミュンデにも行けなかった。
戻ってくるよ。
また帰ってくるよ。
だからそれまでさよなら、ロストック。
たった半年の滞在だけれど、ここだってもう、わたしの「故郷」なんだ。
コペンハーゲンから帰ってきたと思いきや、すぐに引っ越しの準備へ。
未だ、手つかずのままの荷物。掃除をしていない部屋。果たして明日、スムーズにベルリンに旅立てるのか……?
まずは、市役所に行って転居届を……と思ったんだけれど、ドイツ国内の引っ越しの場合、転居届は出さなくてもいいらしい。引っ越し先の市役所で入居届を出せば、自動的に転居扱いになるとのこと。転居届を出すのは、外国に引っ越すときだけ。ちゃんと覚えておかなくちゃ。
お次は、指導教官にごあいさつ。課題を提出して、別れを告げる。
隣の研究室にいる仲間ふたりにもあいさつをして帰ろう……と思っていたけれど、椅子を勧められ、そのまましばらくおしゃべり。そうこうしているうちにお昼になって、先生も交えて4人でメンザ(学生食堂)に行くことに。
……そういえばわたし、ロストックに来てから一度もメンザに行ったことがない。このまま行かないで街を去るのかと思ったけれど、そんなことなかった、一回食べることはできたよー。
ロストックのメンザはおいしいということで有名らしいのですが、うわさ通り、おいしかった。鶏肉のブルーベリーソースがけ、結構な一品でございました。
「また近いうちに会おうね」と言って、今度こそお別れ。
こうして仲間とお話ができるようになるまで時間がかかったけれど、でも、ようやくたどり着いた。
いつでも、帰ってこれる場所。いつか、きっと、帰ってくる場所。
実は来年6月に、一度日本に帰国したあとにロストックに再び舞い戻ることが決まっています。その前にクリスマスの時期にも遊びに来たいし、来年の1月にはコロキウム(集中講義形式)にも参加させてもらえることになった。
帰ってくるんだ、この先、何度でも。
図書館に行って、本を返却する。
ここしばらくご無沙汰していたクルペリーナ通りを歩く。
当面はここで買いものすることもないんだなあ。
大学の事務室で講義の受講証明書(記念にお願いしていた)を受け取りに行こうと思ったら、なんと長蛇の列ができていた。どうやら、新1年生の学籍登録が行われているらしい。
仕方ないから並んで、本を読みながら45分ほど待つ。ようやく順番が回ってきたかと思いきや、「受講証明書の受け取りはここではない」という無情のひとことが。事務の方に「その書類を受け取るために、こんなに長い時間並んでいたの?お気の毒に……」とまで言われる始末。
ドイツ語学科の事務室に行かないと行けなかったらしい。
ああうう。いつだって、恰好よく終われない。
明日、朝1番で受け取って来なければ。
荷造りが終わらない今、ぼんやりと思うのは、最後に海が見たい、ということ。
ヴァルネミュンデのバルト海を見るまでは、ここを去れない。まだ、去れない。
そのためには、徹夜してでも準備を終えないと!
ベルリンの新居用に、ということで契約したインターネットプロバイダから。「重要事項が抜けておりますので、折り返しの電話をよろしくお願いいたします」
……「折り返し電話をおかけします」ではなくて「折り返し電話をかけてください」なんだ。
ノイブランデンブルクでわやわややっているときに電話なんぞかけたくないので、丸々一日放置。夕方くらいに思い出したので、かけてみました。
どうやら新居には電話回線が引いてないらしい。
つまり、このままだとインターネットができない、らしい。
うわあああ、引っ越し間際になにこの予想外トラブル!
大急ぎで家主にメール。
たしかに、部屋には(わけあって)電話回線が存在していないとのこと。
滞在している間だけ電話回線を引いてもいいよ、とは言ってもらったものの、退去するときが面倒そうなので、サーフスティック(携帯電話の回線を使って無線接続するためのスティック)を購入することになりそう。
しっかし回線速度とか、パケットの上限(?)みたいなのとか、なんだかいろいろややこい。判断基準はなんだ。安ければよい、ってわけじゃないのはわかるけど、なにがどう違うんだ。あああ。
とりあえず、ロストック在住時のように「延々とネットにつなぎっぱなし」というのはマズイんだろうな。
契約を進めていたプロバイダにキャンセルの電話をして、ひといき。
あー、一瞬「明日からコペンハーゲン行ってる場合なのか」って真剣に悩んだ。行くけど。
しかしこの会社、通話料がめちゃめちゃ高くて、「待ち」の時間も長いので泣かされます。携帯のプリペイド金額が一日で底をついた。(といっても最低金額しかチャージしてないんだけど)
ベルリンにいっても、ちゃんとスムーズに、そして快適にネットが使えるといいなあ。
会場はNeubrandenburg(ノイブランデンブルク)。仲間の車に乗せてもらい、車中1時間半の旅。
学期中はなかなかお話できるきっかけがなかったので、今回は非常によい機会に。
今回のウーヴェ・ヨーンゾン賞の受賞者は、クリスタ・ヴォルフ。
最初にこの知らせを聞いたとき、ちょっとびっくりすると同時に、納得しました。
クリスタ・ヴォルフとウーヴェ・ヨーンゾンは、双方とも幼少期に故郷(ポーランド領)を失い、家族とともにメクレンブルクに移り住んだ。バックグラウンドはとても似ているけれど、作家として歩んだ道はまるで違う。片方は故郷を後にすることを決め、もう片方は故郷を去ることを拒んだ。ヴォルフの作品がドイツ全体で読めたのに対して、ヨーンゾンの作品は東ドイツで読むことはできなかった。
ヨーンゾンが『ヤーコプについての推測』(1959)、『第3のアヒム伝』(1961)を書けば、ヴォルフが『引き裂かれた空』(1963)、『クリスタ・Tについての追想』(1968)を書く。Jahrestage(1970, 1971, 1973, 1983)につづくのは、『幼年期の構図』(1976)。西と東で、それぞれ対になる話を書いている……という指摘は常々されていました。あまりに当然のこととして受け止められていたようで、比較研究が出たのは実は今年に入ってからです。
研究者の間では「あてにならない」ということで有名なヨーンゾンのバイオグラフィー(半分くらい著者の想像と思い込みで成り立っているというすごい伝記)によると、ヨーンゾンは
「クリスタ・ヴォルフがわたしの後を追って作品を発表しているんだ」
というようなことを言ったというアネクドートがあるとかないとか。
本全体の信憑性が薄いので、本当にそう発言したのかどうかは不明。
真偽のほどはわからないけれど、ヴォルフの日記やその他エッセイなどを通して、ふたりは微妙な間柄だったのかしら……とは、なんとなく思っていました。
「しかるべき時が来るまで、わたしはヨーンゾンについて一切語らない」
そう、ヴォルフは公言しています。
ドイツ統一20年目、故郷メクレンブルクの地で、このたびのウーヴェ・ヨーンゾン賞受賞。
ヴォルフがヨーンゾンについて語るときがやってきたのか、と、この日を心待ちにしていました。
賛辞を述べたのはクリストフ・ハイン。
めちゃくちゃ恰好よかった。すらっとしたロマンス・グレーのすてきなおじさま。
マフラーぐるぐる巻いても「中尾彬風」にはならないんだね。(ファンの方ごめんなさい)
声も、賛辞も、いい。
ハインまた読みたくなった。
そして、
「受賞のことば」。
語られたのは、故人・ヨーンゾンとの出会いと思い出。
それは、はじめて語られる逸話。
ヴォルフでドイツ文学に本格的に足を踏み入れて、
ヨーンゾンにたどり着いて、
今、ここ、メクレンブルクにやってきた。
自分がこれまで積み重ねてきたものが、すっとつながった、そんな気がした。
ヨーンゾンにとっては、「遥かなる故郷」だったメクレンブルク。
そこで、今日、ヴォルフとヨーンゾンが再び出会った。
受賞の言葉、文章化されないかなあ。
読み返したい、読み返したい。
「この日の午後にウーヴェとわたしがなにを話したのかは、あえて語りません」
そう、ヴォルフは言った。
その日の午後に、ふたりが最後に会った日に、なにが語られたのか。
作品研究とは直接関係ないけれど、とても、とても気になるのです。
授賞式の後は、ビュッフェ形式のディナー(!)。
たまたまヨーンゾン協会の計らいでくっついてくることができたけれど、この授賞式はもしや招待制なのだろうか……。
ベルリンでお会いした古本屋のおじさんに声をかけられてびっくりした。(一瞬誰だかわからなかったわたしサイテー)世の中狭いなあ。引っ越しをしたら遊びに行こう。
深夜までラウンジでたるたる仲間と談笑して、12時過ぎに出発。1時半に到着。
助手席に座っていたので、どんなに眠くても寝られない……


そしてノイブランデンブルクは観光できなかったので、ここはベルリンに移ってからまた行きたい!
古い建物とか、外壁とか、なかなかすてきだったなあ。
今日は「バルラハの街」(Barlachstadt)と呼ばれるGüstrow(ギュストロー)に行ってきました。
ギュストローまではSバーン一本で行けるので、家の最寄り駅から乗り換えなしで行ける。本数は少ないけれど、事前に時間を調べていけばとても便利。
ギュストローは、彫刻家・画家・小説家のエルンスト・バルラハが逝去するまでの28年の歳月を過ごした街。そしてウーヴェ・ヨーンゾンが子ども時代を過ごした街でもあります。
ヨーンゾンの作品はギュストローについて、そしてバルラハについて言及している個所が多いので、一度は絶対に行かなければと思っていました。そして、行くならばきちんと予習してから行かなければ、と。そう思っているうちに、こんなに後回しになってしまった。
そんなわけで、今回はバルラハとヨーンゾンの軌跡をたどる旅です。
かれんだー
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りんく
かてごり
最新とらっくばっく
ぷろふぃーる
日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。
深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。
2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。
ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。

