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ゆうゆう自適。

つらつら、まったり。つれづれ(不定期)雑記帳。海風薫るロストックから伯林、そして再び東京へ。再びドイツへ「帰る」日を夢見て、今日も今日とてしゅぎょう中。
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帰るまでが遠足です。
そんな感じで帰路につく。

ボーフムからハノーファーを経由、そこからLüneburg-Büchen-ロストックと、ハルツ山地へ行ったときとほぼ同じルートで帰ることに。エルベ川沿いの景色は本当に美しいので、今回も車窓の旅が楽しみ!

……の、はずだったんだけれど。

ボーフム駅のホームにて、乗るはずのICEが10分遅延しているというとんでもないアナウンスが耳を打った。

ハノーファーでの乗り継ぎ、10分ないんだけど!

いやでもしかし、最近のドイツ鉄道(DB)さんはちょっとがんばっているから、10分のロスくらい楽々と追い上げてくれるかもしれない!(遅延による罰金を恐れ、あらかじめダイヤをゆるーく組み立てているので余裕がある、というはなしらしい)

実際、DBさんはがんばってくれました。
ボーフムに着いたときには10分遅れだったICEは、ほぼ定刻通りにハノーファーに到着しました。乗り換えのホームは隣だし、間に合う!

いそいそと階段を下りはじめたとき、

乗り継ぎのICEが15分遅延しているという絶望的なお知らせが。

次の乗り換え時間も10分弱。
どう考えても無理だろう……。

わたし今日帰れるの?と、くらーい気持ちで駅員さんに問い合わせる。
ハンブルクを経由すれば、帰れるには帰れる。しかしハンブルクで1時間半足止めされることになるため、ロストックに着くのは深夜1時!(もちろん終電)
こんな時間に走っているトラムもSバーンもないので、中央駅についたらあとは自分でどうにかしろと。まあ、朝4時に到着するよりははるかにマシなので、もうロストックに着きさえすればなんでもいい。

そんなわけで、リューネブルクを無視してハンブルクまでICEの旅。
幸か不幸か車内で勉強をする時間だけはできた。

DSCF7721.JPGドイツの駅に待合室なんてすてきなものは存在しないので、ハンブルクでは24時間マックに避難。マックカフェで紅茶をオーダーして、ここでも1時間半、勉強。
はじめてマックカフェのお世話になったけれど、案外ちゃんとしているんだね!(失礼)今までマックでオーダーしていた紅茶よりはちゃんとしたダージリン・ティーが出た。くつろげるかどうかは別として、ちょっと一服したいときにはいいかもね。

夜11時前に電車がようやく出発。こんな時間に乗る人間なんていないだろう……と思いきや、同じ被害にあったのか、それなりに乗客はいた。目的地がロストック、という人も多くて、ほぼ全員が駅前のタクシーに乗りこんでいった。

そして乗り遅れたわたし。(+おじいさんおばあさん夫婦)

ふと、ロストック市内を走る深夜バスの存在を思い出す。
幸い、10分弱でバスが到着したので、割とスムーズに家まで帰れました。

やれやれ、最後まで忙しい遠足だったなあ。
これは忘れられそうに、ない!


DSCF7748.JPG

お世話になりました!

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Bochum(ボーフム)にやってきました。

ボーフムのエキスパートといえば、かもさん!
本日はかもさんにボーフム周辺を案内していただきました。

DSCF7683.JPG隣町エッセンに移動しまして、やってきたのは世界遺産・ツォルフェライン炭坑産業遺産群。
とにかく広ーい!残念ながらガイドツアーは満員で参加できなかったけれど、ツォルフェライン炭坑第12立坑・コークス工場周辺の散策だけでも大満足でした。
ツォルフェライン炭坑第12立坑エリアの建物はバウハウス様式を採用している、ということですが、実際には「直線部分だけバウハウス」という「なんちゃって様式」らしい。そういえば曲線を用いたデザインは見当たらない。


以下、散策の軌跡。

DSCF7684.JPG

石炭を「洗う」場所。

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高いところは別にいい。
でも、格子状の足場は苦手だ!
(大聖堂とのコンボは凶悪)

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コークス工場。

DSCF7708.JPG

子どものころの探検を思い出す。


中も見たかったなあ、なんて言ったらゼイタクになるんでしょうか。
また来たいなー。


DSCF7718.JPGその後、ボーフムに向かって移動。
途中、Wattenscheid(ワッテンシャイト)でルール地方名物・カリーヴルストのおいしいお店に連れて行ってもらいました。シェフはデュッセルドルフのフレンチレストランで修業を積んだとのこと!
カレーソースがすごくまろやかで、でも、ぴりりっとあとからスパイスが効いてくる。すごく絶妙!おいしい!カリーヴルストというと、「ケチャップ+カレー粉」というソースになることが多いんだけれど、全然ケチャップケチャップしていない。さすがだなあ。


街に向かって歩いている途中で、なんとなくローマっぽい建物(?)も発見。

DSCF7720.JPG

なんとなくコロッセオ?

フランクフルトからザールブリュッケン、モーゼル川沿いにトリアーを経由してコブレンツ、そして今、ボーフム……と、行く先々でローマ帝国のなごりに触れる旅だった気がする。(ボーフムだけちょっと惜しい。次は遺跡も見てみたい!)


その後、市内のアイス屋さんで一服。
張りきって食べ過ぎて胸やけを起こしてよろよろしていたバカはわたしです。

最後の最後までかもさんにお世話になりっぱなしでした。
おかげさまですてきな滞在時間を過ごすことができました。どうもありがとうです!

しかし一日弱じゃ、ルール地方を知ったことにもならないなあ。
また来たい。今度はデュッセルドルフ/メンヒェングラードバッハへの「里帰り」も組み込んで、ベルリンから来ちゃおうかな。な。


通り抜けたボーフムの街は、工業都市ということで、どこか地元・メンヒェングラードバッハを彷彿とさせた。や、ボーフムのほうがもちろん大都会ですけど!

Saarbrücken ist nicht weit.

ザールブリュッケン、と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、80年代ドイツの歌姫、Nicoleの歌。

ザール川のほとりにあるこの小さな街に、やってきました。
フランクフルトからTGVで2時間。たしかに、ザールブリュッケンは遠くない。

なぜここに来たのか。

ひとつは、「ドイツ16州を制覇してみたい」と思ったから。
今回の留学でメクレンブルク・フォアポンメルン、シュレースヴィヒ・ホルシュタインに足を踏み入れることとなり、あとを残すはザールラント(州都ザールブリュッケン)だけとなりました。フランクフルトまで来たなら、もう、行っちゃえ!と思った次第です。

あとは、もうひとつ。単純に街を見てみたかったから。
ザールラントは小さな州です。フランス国境に近く、もう、ロレーヌ地方とは目と鼻の先。
上に挙げた歌くらいしか、思いつくことがないくらい、このザールブリュッケンという街のことを知らない。


そんなわけで、今日、ここにやってきました。

2時間という限られた時間の中で、せかせか観光!なんか、3年前の周遊が思い出される……。あのときはジャーマンレイルパスがあったから、割と好き勝手できたんだよなあ。


以下、ザールブリュッケン観光をダイジェストでご紹介。

DSCF7630.JPG

市庁舎。さすが州都、立派です。
19世紀末~20世紀初頭にかけて造られたとのこと。

DSCF7640.JPG
 DSCF7638.JPG

トラム。丸っこくて可愛い。
いろんなカラーがあるようで、ほかにも青の走行を確認。
トラムのデザインは街によって違うので、見ているだけでも楽しい!

ちなみに、

これまで見たトラムの中でザールブリュッケンのバツグンに可愛いと思う。
 
DSCF7633.JPG

「ポスト」って書いてあったから、郵便局なんだと思うけど。
今もちゃんと現役なのかな?日曜日だったし、反対側の道にいたのでよくわからない。それにしても立派な建物!
 
DSCF7643.JPG DSCF7644.JPG

かつてローマ帝国領だったこともあってか、
ローマにゆかりのあるものをちらほら見かける。
オヴィディウス、という名前のお店。たぶん飲食店。
すぐ向かいには、カラカラという名前のお店も。食器屋さん?
 
DSCF7655.JPG

広場から横道に入ると……

DSCF7650.JPG

こんなお店を発見!
ジャパニーズ・ブラッサリーだって!残念ながら日曜日は定休日。
 
DSCF7652.JPG DSCF7654.JPG

ここは、Fröschengasse(カエル横町)という名前の通り。
うーん、こういうのだいすき。
 
DSCF7649.JPG

ザール川付近にやってきました。
このザールラント国立劇場は、1935年、再びドイツ領となったザールラントへヒットラーが進呈した「贈りもの」だそうです。……ドイツにとっては「アウトバーン的位置づけ」になるのかしら。
 
DSCF7647.JPG

Alte Brücke(古い橋)。
対岸の、小高い丘にはお城が建っています。

でも、
 
DSCF7667.JPG

結局どれが「お城」なのかよくわからなかった。これ?
「お城の庭園」に面している建物といえば、これくらいしか……。うーん。
 
DSCF7671.JPG

ローマ帝国の武将……のはずなんだけど。
看板を見て「行かなきゃ!」と思ったはいいが、

肝心のお名前を綺麗に忘れた。

誰だー。
 
DSCF7674.JPG

ルートヴィヒ教会。バロック様式。中は真っ白!
あまりに静謐で、写真を撮るのをためらわれたので、

DSCF7675.JPG

街中のプレートを撮影。いくじなし!


これで街をぐるっと一周した感じですが、2時間ではとてもじゃないけど足りない!
もう少し時間があれば、お城の位置を確認したり、ルートヴィヒ教会をゆっくり見たりできたんだろうなあ。もちろん、そんなのゼイタクだけれど。


最後に、

 
DSCF7679.JPG


ザール川。(恐らく)連日の雨で水が茶色くなっていた!
そして、悪天候のため写真が残念なことに……。

ざっと回って、生活しやすそうな街だなあという印象を抱きました。
たぶん、ロストックともそう規模は変わらないんじゃないかな。もちろん、州都であるザールブリュッケンのほうが華やかだとは思うけれど。

慌ただしくはあったけれど、思い切って来てよかったなあ。


ここから、モーゼル川沿いに北上。
コブレンツを経由して、ルール地方に向かいます。
朝6時半に朝食をすませて、出発前に母校まで散歩をすることに。

トラムなら2駅。しかし最寄りのSバーンまではホテルからも学校からも大して距離は変わらず、案外近いということを改めて知った。今回泊ったホテルだって、実は在住時には毎日毎日前を通っていたりする。

DSCF7612.JPG母校に到着。最後に来たのは8年前かな?8年だろうと12年だろうと、この校舎はなにも変わっていないんじゃないかという気さえする。さすがに内装はちょっと綺麗になっている……かな?
デュッセルドルフの母校の新校舎がホテルに化けていたときはさすがに仰天したので(ホテルが建つことは知っていたけれど、実際に目の当たりにするとびっくりする)、「変わらない」ということに安堵を覚えた。

DSCF7613.JPG母校のあるオストエンド地区は、かつてユダヤ人が多く住んでいた地区だったそうです。知らなかった。
そして今回、正門を眺めていたら、こんなプレートが目に入った。うちの学校の前身は、ユダヤ人学校(1853-1939)だったのだと。……いつも裏門から入っていたものから、このプレートの存在に気がついたのも今になってからなんだけれど、本当に自分の無知がイタイ。ちょっと一から出直して来たい。

DSCF7617.JPGうちの学校は動物園の真向かいにあります。3階の教室から、ときどきキリンを見ることができました。あんまり身近にあったものだから、学校行事で行くことはなかったなあ。もしかしたら、入学直後に連れて行ってもらえるのかもしれませんが。(わたしは小学校6年のときに転向したので、そのあたりのことはよくわかりません)
ちょっと意外だったのは、裏門に面している通りがHölderlin通りだったこと。そんな立派な名前がついていたのね……下校時のショートカットとしてしか認識したことがなかった。通りの名前すら知らなかった。


何年経っても、新しいことって学べるんだなあ、と。
(今回は無知を解消しただけに過ぎないですが……)


ホテルに戻って荷物を回収、中央駅へ。
ここから更に西へ、南へ。

Goodbye, Frankfurt.
また、「帰って」くるよ。

HSVのサポーターたちの間を縫って、外のトラム乗り場へ。
幸い、スタジアム行きとは反対方向の電車に乗るので、ほっと一息。

フランクフルトといえば、経済の中心地としてのイメージが強いと思いますが、今回は住宅街を中心に散策しようと決めていました。お仕事半分、趣味半分。あとは友達との約束。


まずはウーヴェ・ヨーンゾンの著作から抜粋をご紹介。

Noch später war sie gefragt in jenem nördlichen Viertel Frankfurt, wo die Straßen nach Schriftstellern heißen, von Franz Kafka über Franz Werfel und Stefan Zweig bis zu Platen, da wohnten die Familien der amerikanischen Besatzer und gingen nachts aus und ließen ihre Kinder behüten von einer Miss Cresspahl für deutsches Geld... (Uwe Johnson: Jahrestage, Band 4. S. 1860)

『もっと後になってから、彼女はフランクフルト北部の地区――フランツ・カフカからフランツ・ヴェルフェル、そしてシュテファン・ツヴァイクからプラーテンまで、作家の名を冠した通りのあるかの地域で求められることとなった。そこにはアメリカ占領軍の家族が住んでいて、夜に外出する彼らは、ドイツのお金を払ってミス・クレスパールに自分の子どもたちの世話を頼んでいた……』


この「作家の名を冠した通りのあるフランクフルト北部の地区」は実在しています。ドイツで二番目に高いテレビ塔(Europaturm、通称Ginnheimer Spargel)とドイツ連邦銀行がある、Ginnheimという地区。フランクフルトには4年間住んでいましたが、一回も行ったことはありませんでした。よく使っていた地下鉄の行き先としてはしょっちゅう目にしていたんだけれど。

フランクフルトに行くならば、ミス・クレスパールが通っていた地区に行ってみなければ!と思った次第です。アーカイヴがないなら、せめて作品の舞台(回想だけど)ぐらいは見ておかないと!

土曜のお昼ということもあるかもしれないのですが、ぱっと見、とても閑静な住宅街でした。いかにも「旅人」みたいな恰好で通りを歩いて、なおかつカメラを構えるのは、ちょっとどきどきした。

ミス・クレスパールがフランクフルトで生活していたのは1950年代前半なので、彼女が通ったGinnheimは50年以上も昔のGinnheim。ずいぶん、風景も変わったことでしょう。

DSCF7591.JPG

フランツ・カフカ通り。
子どもたちがたくさん遊んでいた。

DSCF7592.JPG

プラーテン通り。(歩いてきたのはフランツ・ヴェルフェル通り)
住宅街の中をバスが通る……。

あとから知ったのですが、この"Platensiedlung"(Platen通り周辺)は移民が非常に多く集まる地域とのこと。2005年のFrankfurter Allgemeineの記事によると、さまざまな観点から、ちょっと問題の多い地域でもあるらしい。5年も前の記事だし、実際に住んだわけでもないのでなんともいえないけれど。


同じくGinnheimにアンネ・フランクの生家があるのですが、バス→地下鉄で2駅戻る必要があったので、今回は見送り。バス→地下鉄一本でSüdbahnhof(南駅)に直行!

マイン川の対岸に位置するSachsenhausenは、急成長を続けるフランクフルトの中でも時間が止まっているかのような印象を与える地区。アップルワインが名物。
ICEでフランクフルトまで南下する場合は、必ずSüdbahnhof経由で中央駅に向かうのですが、このとき見える景色が一番好きです。ランドマークはフランクフルトの地ビール・Henniger社の塔(フランクフルト空港に発着する便なら上空からも見えるはず!)、そしてホテルのホリデイ・イン。中心部でどれだけ見知らぬビルが乱立しても、ここの景色は変わらない。これらを見るたびに、「帰って来たんだ」と思う。何年経っても。

3年前、この街に「帰って」きたときと同じように。
かつての最寄り駅Südbahnhofから、かつて住んでいた家まで、歩いて「帰る」。

DSCF7594.JPG

びっくりするほどなんにも変わっていない。
いや、12年前にはなかったバス路線ができていたかな。最寄駅がひとつ、増えたことになる。(でも30分に一本しか運航していないので、歩いたほうが絶対早いと思う)

DSCF7595.JPGI'm home! Kurt Tucholsky――当時まったく縁がないと思っていたんだけれど、今や「関係者側」の人間になってしまったのだから、人生なにが起こるかわからない。
ちなみに、この街で「ドイツ文学なんか一生好きになるか」と思えるほどのトラウマを体験をしています(国語の先生との相性がサイアクだった)。そういう意味でも、今のわたしは、12年前のわたしが想像もしていなかったような道を歩んでいるということになる。

DSCF7598.JPGただいま。家は、12年前よりもずっとおしゃれになっていた。ドアノッカーがついていたり、ナンバープレートが入れ替えられていたり。こだわりのある人が住んでいるんだね。よかったね。
Platen通りの辺りを歩いていたときもそうだけれど、ここで写真を撮るのもちょっとどきどきする。(家の前で撮るわけにもいかないので遠目に……)

ここから、ランドマークを見ながらSüdbahnhofに戻る。

DSCF7602.JPGDSCF7604.JPGホリデイ・インとHenniger-Turm。
このふたつあってのSachsenhausen!

Hennigerといえばレモネードで割ったRadler(Alsterwasserと同種)が有名ですが、15でこの街を去ったわたしは、未だにHennigerのRadlerを飲んだことがない!(ドイツではビールは16歳からOK)
ちなみに、毎年、この塔の周りを走る自転車レースが開催されます。"Rad"(自転車)lerだけに。

次は、Südbahnhofからトラムに乗って、ホテルへと向かう。かつて登下校に使っていたルート!毎朝、これに乗ってマイン川を渡るのが好きだった。今回の宿は、母校にほどなく近いホテル。荷物を置いて、すぐさま街へと繰り出す。友達に会う時間が近づいている!

DSCF7607.JPGフランクフルトの中心地、Hauptwacheへ。駅から出ると、真っ先に目に入るのがこの聖カタリーネン教会でしょうか。フランクフルトにやってきたハイジは、アルプスを見ようとこの塔にのぼったのです!
友達との待ち合わせ場所は、教会の正面にあるデパートKaufhof。辺りをきょろきょろ見回して、もしや……と思った矢先に、気になった人物が動いた。ビンゴ!6、7年ぶりでもすぐにわかるもんだ。よかったよかった。

目抜き通りZeilに新しくできたショッピング・モールMyZeilを紹介してもらったり、大改装中のZeilgallerieの展望台にのぼって街を一望したり。
博物館が並ぶMuseumsuferでは年に一度の盛大なお祭りが開かれていたので(実は一度も行ったことがない!)、催し物を見ながらマイン川沿いをお散歩。途中、大雨に降られたけれど、しばらくしたら止んだし、問題なし。最後はオーストラリアン・スポーツバーで食事をして解散。

たくさんお話できて、楽しかった!あっという間に時間が過ぎてしまったよ。
中等部時代の話に、花が咲いた。こんなにたくさんの思い出が、ここにはちゃんとあったのね。ちょっと忘れていた。でも、今、思い出した。すごく大事なことを。

フランクフルトは「住む街」としてはあんまり人気がないような印象を受けることがあるけれど、わたしはこの街が好きだ。それは、ここに楽しい思い出がたくさん残っているからかなとも思う。

12年の歳月の中で、美化されていることもあるかもしれない。それでもいいよ。それでもきっと、この街が好きなことには変わらないと思うんだ。

かれんだー

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ドイツ生まれ、ドイツ育ちの「なんとなく日本人」。根っからのラインラントっこ。

日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。

深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。

2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。

ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。


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