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ゆうゆう自適。

つらつら、まったり。つれづれ(不定期)雑記帳。海風薫るロストックから伯林、そして再び東京へ。再びドイツへ「帰る」日を夢見て、今日も今日とてしゅぎょう中。
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原題「Bizim Büyük Çaresizligimiz」。

9時半開始だったので、9時少し前から当日券を求めて列に並んだ。
劇場の入り口付近で、チケット売り場は別のところにあることが判明。幸い、すぐ隣の建物だったので、急いで移動してそちらの列に並びなおし。30分しか時間がなかったから、入れるかどうかひやひやした!

しかし、早起きは三文の徳。無事にチケットを入手、出遅れたにも関わらずよい席にもつけました。


チェティンとエンダーは幼なじみ。切っても切れない仲のふたりは、アンカラでルームシェアをしながら暮らしている。ある日、ベルリンで暮らしている友人からふたりに連絡が入る。両親が交通事故で亡くなり、残された妹・ニハルの面倒を見てほしいという。ニハルを引きとり、彼女に父親のような気持ちで接するチェティンとエンダー。やがてふたりは、それぞれニハルに恋をする……。
 
トルコの日常/人間模様を描いた映画。ファティ・アキン作品のように、トルコの伝統や文化、社会問題が取り挙げられているわけでもない。舞台がほかの国であっても成立し得た題材です。それが逆に新鮮だった。
 
 
(ここからネタバレ)
 
チェティンとエンダーは、どちらもニハルへの恋心を自覚するや否や、お互いに胸の内を打ち明け合う。そして、若いニハルの気持ちを配慮して、自分たちの気持ちを告げないという結論に達する。それぞれにニハルを愛しいと思うのに、動かない。また、チェティンとエンダーの仲に変化が起こるわけでもない。
ふたりの「大人の男」の気持ちを察してまんざらでもなさそうだった当のニハルは、ボーイフレンドの子どもを妊娠、堕胎し、一身上の都合で兄のいるベルリンに行くことになる。
 
 
ニハルを間に挟んでも、決して揺らぐことのなかったチェティンとエンダーの友情。最後に残るのは愛か、それとも友情か。そんなことをぼんやりと考えてみたり、する。なにせ「大人の男ふたり」の好意を巧みに感じ取るニハルは、一方でボーイフレンド(明確になるのは後半に入ってからだけれど、その存在は冒頭から見え隠れしている)ともよろしくしている「小悪魔」!愛、すなわち性愛はまやかしでしかないのか?そんなことを、ぼんやりと考えてみる。

(ここまでネタバレ)

「おじさん」ふたりが、本当にかわいいのです。
 
 
この映画は「ヨーロッパ一の規模を誇る」と謳っているFriedrichstadtpalastで観たのですが、さすがにスケールが大きかった!一番後方の席について、ようやくスクリーンがすんなりと観られるくらい。映画と併せて、新感覚でした。
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ベルリナーレの目玉作品のひとつだったのか、前売りの段階で全日程のチケットが完売。
当日券ですら入手しづらいのでは、と思っていたものの、ダメモトで行ってみる価値はある!ということで、「Eighty Letters」鑑賞後、該当の映画館へ。隣の駅だし、チケットが取れなくても痛手ではない。

なんと、1枚だけ残っていました!

夜22時からの上演だったので、一回帰ってまた出てくる必要はあるけれど、それでも観たい!ということで、即購入。残数が2、3枚だったら、友達も誘えたんだけどなあ。

そんなわけで、ひとりで行ってきました。
会場はAlexanderplatzからひと駅東へ行ったSchillingstr.にある映画館、International。カール・マルクス通りに来るたびに「ああ東ドイツだな」と思うのだけれど、この映画館はなんとバウハウス・スタイルの建築。内装もとてもきれいで豪華だった。


60年代のイギリス。

少年ナイジェルは料理、それも調理のほうに大変関心を持っていた。母親が料理上手ではなかったことにも一因があったのかもしれない。本を片手に、新しい料理に挑戦しようとする息子を、父親は理解できずにいた……。


(ここからネタバレ)

喘息を患っていた母の死と、お手伝いさんのミセス・ポッターの登場で、ナイジェルの生活は大きく変わる。ナイジェルの心境をよそに、料理上手で女性の色香ただようミセス・ポッターにみるみる魅了されていく父。やがて父は、ナイジェルとミセス・ポッターと3人、イギリスの片田舎で新しい生活をスタートしようと考え、実行に移す。

父の関心を引くため、ナイジェルは学校の調理実習で料理の腕を磨く。ナイジェルの料理の腕に危機感を覚えたミセス・ポッターは、彼をキッチンに近づけまいと最新の注意を払った。

地元のパブの厨房でアルバイトをしながら、ナイジェルは料理の可能性と性の目覚めを知る。
やがて父が(間接的にミセス・ポッターの手による過食が原因で)亡くなると、ナイジェルは家を飛び出し、ロンドンに赴く……。

(ここまでネタバレ)


イギリスの料理研究家でフードジャーナリストのナイジェル・スレイターの半生(料理研究科になるまでの道のり)を映画化した作品。

映像がとにかく、きらきらしていた。
ナイジェルが料理の魅力に取りつかれていく過程が、非常によくわかる。

涙あり、笑いあり。
シリアスな展開の中にもくすっと笑えるエピソードが盛り込まれているのは、イギリス流なのでしょうか。


タイトルの「Toast」。

料理が苦手な母が調理に失敗するたびに、「そうね、今日はトーストにしましょう」というのだけれど、この「こんがり焼けたトーストにバター」という組み合わせが、ひとつの「幸せ」を体現している。幼年期の幸せ、そして現在へと続く旅路の出発点。


観ていて清々しい気持ちになる映画でした。

原題「Osmdesát dopisu」。
何度聞いても、正しく発音できる気がしない……。
 
 
チェコスロヴァキア、1987年。
 
ある朝目覚めると、母がいなくなっていた。
少年ヴァチェクはあわてて家を飛び出し、母の後を追う。
母は、出国手続きの書類をそろえるために奔走していた。ヴァチェクとふたり、先にイギリスに亡命した父と再会するために。
 
とても淡々とした映画。
 
開始直前に、監督が「英字幕だけれど、台詞はほとんどないから安心してね!」と言って劇場全体を笑わせたものですが、本当に最低限の台詞しかなかった。音楽も、ほとんど流れない。代わりに空間を埋め尽くすのは雑踏、車のエンジン音、足音……。街並みはどこまでも灰色で、救いが感じられない。
 
出国手続きに必要な書類は一日で集めなければならず、揃わなければその日一日の努力が水の泡になってしまうのだそうです。そのため、母と息子は手続きのために一日中、街を駆け巡る。
当時のチェコスロヴァキアでは、苦労して書類を集めてもなかなか出国許可が下りなかったそうです。それでも、母はあきらめない。家に戻って、一息ついて、次の動きに備える……。
 
時折オフで、お母さんがお父さん宛てに書いた手紙の内容が流れる。すでに書かれた手紙は、43通。ラストに読まれる手紙で、44通目。家族3人が再会できるまで、あと何通の手紙が書かれることになるのか――。
 
この映画は、監督の自伝的な作品なのだそうです。
子どものころに残った印象や記憶をもとに、映画が構成されているとのこと。ところどころ、家族の写真がさりげなく織り込まれていたりもする。
Eigthy Letters、80通の手紙。母が80通目の手紙を書き終えたとき、ようやく出国の許可が下りたのだそうです。1年半後の、1988年。条件は、チェコスロヴァキアの国籍を破棄すること。
 
当時のチェコスロヴァキアってこんな感じだったのか……と、胸に迫るものがあった。
わたしはソビエトの体制を体験していないし、この映画を観てわかった気になったとは到底思えないけれど、当時の雰囲気を、監督が表現したかった世界を、ちょっとだけでも感じ取れたように思う。
 
灰色です。救いがないです。
それでも、母はあきらめない。
 
凛とした母の書く手紙が、一筋の光を投げかける。
華やかではないけれど、とても印象に残った映画でした。
 
 
ヴァチェクは可愛かったし、お母さんは美人。
なんと、演じたふたりの本業は役者ではなく、ミュージシャンなのだとか。
 
舞台あいさつもあり、映画館を出る直前に、ヴァチェク役の子のそばを通りました。実物もやはり可愛い……美少年!眼福です。うふふ。
ベルリナーレではじめて観た映画は、オーストリア映画。Die Vaterlosen(The Fatherless)、「父なきものたち」。
 
父の死に際して、散り散りになっていた子どもたちがかつての生家に集う。
ベルリンで医業を営むニキ、ウィーンで生活しているヴィート。20年前に母とともに家を追い出されたキューラは、唯一父のもとで暮らしていた異母妹ミッツィとはじめて顔を合わせる。
父はなにを思って、子どもたちを呼び寄せたのか――。真相を知る術を持たない子どもたちは、各々の思い出を語りはじめる。父はどのような人間だったのか。なぜ、キューラは父の元を去らねばならなかったのか。残されたものたちの想いが交錯したとき、20年前の真実が明らかになる。
 
(ここからネタバレ)
 
20年間、一度も顔を合わせたことのない姉妹、キューラとミッツィを軸に物語は進む。
 
かつて父・ハンスは自由な共同体を形成し、数人の男女とその子どもたちとともに暮らしていた。彼はふたりの女性と関係を持っていたが、共同体が機能しているうちは諍いも起こらない。しかし生まれたばかりのミッツィがキューラの不注意によって命を失いかけたことから、ミッツィの母は共同体を解体するようハンスに懇願する。結果、キューラは実母とともにハンスの家を追放されてしまう――。
 
子どもの目線で展開する回想を重ねていくうちに、少しずつ、ミッツィをめぐる過去が紐解かれていく。その過程で、秘密を抱えているのがキューラひとりだけではないこともわかってくる。
ニキとキューラ、そしてヴィートそれぞれの記憶が交錯してはじめて、事件の真相が明らかになる。
 
 
「父なきものたち」――このタイトルをどのように理解するか。
 
子どもたち4人のうち、誰ひとりとしてハンスを「お父さん」と呼びはしない。みな、「ハンス」と名前で呼ぶ。
共同体の中心的な存在であったハンスは、カリスマ的なリーダーであっても、子どもたちの父ではなかったのではないかと、おぼろげに思う。
 
家とともに、ハンスとともに、共同体の名残も朽ち果ててゆく。
かつての時間を取り戻そうと、躍起になって家を修復しようとするヴィート。
けれどほかのきょうだいたちや、妻でさえも、今やハンスの強力な呪縛から抜け出そうとしている。
 
父なき今、新しいなにかがはじまろうとしている。
そんな予感を抱かせるラスト。
 
(ここまでネタバレ)
 
 
まるで、小説を読んでいるような映画。
静かに、丁寧に、はなしが進んでいく。少しずつ、謎が解けていく。
 
そしてまた、深い余韻を残す映画でもある。
 
オーストリア・ドイツ語が耳に心地よい作品でした。
でもスイス・ドイツ語ほどではないとはいえ、字幕がないとやっぱりツライ。早口&ばりばりのオーストリアっこのしゃべりはさっぱり。ドイツ語圏とはいえ、これは方言というレベルではなく、もう立派な言語だなよあ……。
 
Die Vaterlosen」は4月にオーストリア、6月にドイツで公開予定とのこと。
味わいのある、いい作品だと思うので、関心のある方はぜひ。オーストリアものは日本に来るかどうかわからないし、今のうちに観ておいてよかった!
 
あ、でも、「Die Herbstzeitlosen」(邦題は『マルタのやさしい刺繍』だったかな……)も小さな劇場で公開されたし、特別上映でもいいから実現してほしいなあ。

ルキーノ・ヴィスコンティ監督作。
トーマス・マンの同名小説『ヴェニスに死す』Der Tod in Venedig(1912)が原作。

旧職場の同僚さんから「マーラーとタッジオ少年がうつくしすぎる」と聞いて以来、絶対に観ねばと思っていたのがようやく実現!


静養のためにヴェネツィア(ヴェニス)を訪れた老作曲家・アッシェンバッハは、そこで出会ったポーランド人の少年・タッジオに理想の美を見出す。すっかりタッジオのとりこになってしまったアッシェンバッハ。少年がどこへ向かおうと、ひっそりと後をつけ、熱い視線を送る。
やがてヴェニスに疫病が蔓延しはじめるも、タッジオから目を離せないアッシェンバッハは街に留まる。タッジオを救いたい一心で、家族に早くヴェニスをあとにするよう伝えるアッシェンバッハ。彼自身はすでに病魔に侵されていた。そしてタッジオ一家が出立するその日、浜辺でうつくしいタッジオの身体をながめながら、アッシェンバッハはついに息絶える。


じっとタッジオを見つめるアッシェンバッハを「かわいい」と表現したら、「えー」と非難の声が飛んできた。
いや、現代風にいえばたしかに「ストーカー」なんだろうけれど、

じっとタッジオを見つめるまなざし、
終盤、そっとタッジオの髪をなでる震える手、

一途じゃないですか。

好きな子を思わず目で追ってしまう……
そんな甘酸っぱい思い出とともに。


とはいえ、はじめからいきなり「好きだタッジオ!」となるわけではなく、
友人と「美とはなにか」について激しく議論したり、美と清純と愛について葛藤したり、

アッシェンバッハがタッジオへの愛を認めるまでの過程もていねいに描かれている。


あと映像がうつくしい。
マーラーの交響曲第3番と第5番もうつくしい。

ストーリー、映像、音楽、すべてが「美への陶酔」を表現している、という印象を受けました。
この辺は専門家のSくんに詳しいはなしを聞いてみたい。


Last but not least、タッジオ少年のうつくしさは尋常じゃない!
よくもまああんな美少年を見つけてきたものだと思います。ギリシア彫刻みたい。

アッシエンバッハの視線に気づいていながら、まんざらでもない様子……小悪魔!


日本に戻ったら一刻も早く原作を読もうと思った。
『ブッデンブローク家の人々』も『ヴェニスに死す』も、映画は見たけど原作読んでいないんだよね、ごにょごにょ。『ブッデンブローク家の人々』は冒頭数ページで断念したまま放置してある。

その前に『ベルリン・アレクサンダー広場』!
……と思うんだけれど、まずはトーマス・ベルンハルトの『イマヌエル・カント』読むんだ……。予習!

かれんだー

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ドイツ生まれ、ドイツ育ちの「なんとなく日本人」。根っからのラインラントっこ。

日本の大学院で現代ドイツ文学を勉強中。ただいま、ドイツにて「しゅっちょう」修行の旅の途中。今やすっかりメクレンブルクの空と大地と海に心を奪われています。
夢は、日本とドイツをつなぐ「ことばや」さんになること。

深刻になりすぎず、でも真剣に。
こつこつ、しっかり、マイペース。がんばりすぎない程度にがんばります。

2010年4月-9月までロストック(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、10月-2011年3月までベルリンに滞在。再度ドイツに留学することが、今後の目標のひとつ。

ぽつぽつと、不定期的に過去の日記を埋めていきます。


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